幸不幸(こうふこう)とは
幸不幸。「こうふこう」と読みますね。
で、辞書的な意味としては、「幸福と不幸。しあわせとふしあわせ。」とあります。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/288954/meaning/m0u/
文字通りですね^^;
幸不幸は認識による
けれども、しあわせとか、不幸というのは、自分の受け止め方次第なところがあるんですね。ええ。
物事に対して、
・肯定的
・好意的
・プラスに受け止める
という人は悩みや苦労はなくなりがちです。主観的に感じる悩みが少なくなる。反対に、ハッピー感が高まります。
第三者的に見て「大変だなあ」と思っても、本人の自覚の中ではそうでもない。しあわせだったり、ケロっとしている。これってハッピーなわけです。しあわせなんですね。
心の波動が高いと幸福感をおぼえやすい
で、「いまここ」モードにあると、こうしたことが実現もしやすくなるんですね。気持ちが「いまここ」にありますので、
・昔のことと
・未来のこと
・「もし~だったら」といった仮定
・空想や想像の世界
・観念や思考の世界
に入り込みにくくなるんですね。観念や思考の世界で遊びにくくなるんですね。
なので、意識の有り様が、
・ポジティブ
・好意的
・肯定的
・いまここ
の2つにありがちなのは、それ自体がハッピー、しあわせになりやすいんですね。余計なことを考えることがなくなりますので。
一言でいえば心の波動が高くなるんですね。自分で高めようと思わなくても、自ずと心の波動が高くなる性質があります。
心の波動が低いと不幸をおぼえやすい
これが反対に、
・何をみてもケチばかり付けたり
・ダメ出しばかりしたり
・文句ばっかり言ったり
・粗ばっかり探したり
・思いの反すうを繰り返したり
・いつまで経っても心に蜘蛛の巣が貼っている
こうした状態ならば、ネガティブ街道まっしぐらになってしまいます。一言でいえば
・感謝が足りない
・自分と他人へのやさしさ・愛情が掛けている
・ネガティブな心に染まりすぎているy
ということなんですね。心の波動が低くなんているんですね。
ですので、些細なことでも気を病み、
いつまでも心の中に蜘蛛の巣が張り、
恨みがましくなって、
美味しいものを食べても美味しくない、
いいことがあっても喜べない、
しあわせな状況になっても幸せでない
二言目には文句と愚痴ばかり
となってしまって、
「ド不幸モード」になってしまうんですね。
挙げ句の果てには、「前世のカルマ」だとか「業」だとかといった超ディープで、誰も説明できない悪夢の無限ループに突入してしまって、ド不幸モードにどっぷり浸かってしまって、可哀想な人になってしまいます。
で、こういう状態になれば、大変な目に遭うと、もう発狂モードになって、うつ病にはなるわで、しっちゃかめっちゃかになってしまうんですね。
で、いいことがあっても、つまらないとか、粗探しをしたりとかなってしまって、結局、自分で不幸を作り上げてしまうんです。
幸福・不幸の法則~占星術が示す事実
おわかりでしょうかね?幸福・不幸って、実に、自分で作り出しているのが、半分以上なんですね。
インド占星術などで見ると、素晴らしい星の組み合わせや配置があっても、人によっては、そういうしあわせ感を感じにくい人もいたりもするんですね。
反対に、厳しい状態や悪い星の配置であっても、根がポジティブであれば、たくましくもやっていけるんですね。
わたしゃ占いをやっていますので、そういう事例をいくつも見ていましてね。最高のダシャー(運勢)にありがなら、文句や不満ばかり言っていて、目の前のありがたさが感じられない、感謝の気持ちが持てない。
実際にそういう人がいるんです。
なので、「気持ちの有り様が大事」というのが、よーくわかるんです。
星の配置とか、ホロスコープが良いともさることながら、大事なのは、本当に「気持ちの有り様」のほうなんです。
結局、世の中の幸不幸というのは「認識」なんですね。認識。これが「幸福・不幸の法則」でもあります。
気持ちの有り様と幸福・不幸の法則
で、大事なことは、常の自分の状態ですね。いつも、ご機嫌で、上調子で、楽しい気分でいられるのはしあわせです。
「いまここ」をしていると、そういう風にもなりやすいんですね。いろんなことがあっても、課題や問題があっても、それはそれとして、でもなーんかご機嫌です。
これってしあわせですよね?
しあわせとは、何かに恵まれたり、うまく運ぶだけじゃあないんですね。そういう現象面だけのしあわせじゃあないんですね。
恵まれたり、うまくいくことがあっても、「気持ちの有り様」が悪ければ、幸福感なんか無くなりますので。
「気持ちの有り様」が大事なんですね。
なので、「ポジティブ」とか「明朗」「肯定的」といった傾向が好まれるんですね。なぜなら、こういう性質そのものが「しあわせ」だからなんです。人は、本能的に、しあわせが好きなんです。
その「しあわせ」とは、宇宙の性質でもあるんですね。「赤ちゃん」は何故、笑っているのか?これこそが宇宙の性質なんです。
赤ちゃん」は何も求めていないから笑っている(天然自然な幸福感)
そうそう、以前「赤ちゃんは笑っている」と言ったところ、ある人は、「そんなことはない、赤ちゃんは泣いている」と言いましてね。おもいっきり、ガクっとうなだれそうになりましたが^^;
ま、説明するまでもないんですが、説明しますとね、赤ちゃんが「泣いている」のは、何かをして欲しい要求のポーズなわけですね。
赤ちゃんは、一人では何もできないので、周囲の人の協力を求めるために「泣く」という仕草をするわけですね。
しかし「赤ちゃんの笑い」は、別段、何も求めていないんですね。ただ笑っている。笑っている。
これこそが宇宙の性質の表れなんです。何も求めていないけれども、こうして存在していること自体がうれしい、楽しい。それが「赤ちゃんの笑い」。
「いまここ」をやっていって、ただこうしているだけで
ありがたい
うれしい
いいなあ
しあわせだなあ
なんてゆー思いが出てきたらしめたもんですね。「いまここ」の世界にようこそ!です。
で、赤ちゃんに逆戻りです。ばぶー^^そういえば、サザエさんに出てくる「イクラ」ちゃんって、永遠の赤ちゃんですね。
サザエさんの放送が始まって50年は経っているんじゃないんですかね?すごい設定ですね。
でも、見方を変えれば、「永遠のいまここ」ですよね。サザエさん、実は、深遠なる教えを内包している、高次元なスピリチュアルアニメだったのか!?
なんつー妄想は後にして、つらつらと独り言でやんすよの巻き。