常識・価値観の多くは集合的無意識の産物
世間一般で、推奨される「価値観」の多くは集合的無意識が作っています。
この集合的無意識にも、
(1)良識に基づくもの
(2)その時代の時流に基づくもの
といった具合に、大別もできます。
良識に基づく「集合的無意識」は健全です。
時代が変わっても価値観は変わらないものです。
変わりにくいですね。
「人殺し」「窃盗」「嘘」はよくないというのは普遍的な価値観でしょう。
常識・価値観は時代によって変わる
しかしながら、その時代によって変わる価値観もあります。
たとえば戦国時代では、敵の武将の首を取ったものが営業成績ダントツのサムライ社員だったわけです。
現在は、契約件数が多いとか、売上が多いとか、「マネーの量」に変わっています。
時代によって価値観が変わる事例の一つですね。
集合的無意識がもたらす常識・価値観と異なると
この集合的無意識とは違った価値観を持つ場合は、実のところ、潜在下では「自立する魂」を育んでいます。
ですのでニュースや、いろいろな情報に触れても、人と違う見方をしたり感じ方、受け止め方をすることが多くなります。
一見すると「変人」に映るケースもあります。ですが集合的無意識に影響されにくい自立した魂を持っているケースがあります。
もっとも屈折して歪んでしまっているケースもあります。言ってはなんですが、そういうケースもあります。こちらも世間の価値観から外れます。
この辺りの「見極め」が必要なことは言うまでもありません。
一般的とは異なる価値観は受け入れがたくなる
世間と異なる感性を持ちますと、ステレオタイプの価値観に染まった方から見れば、「理解不能」な存在に映るようになります。
ですので見当違いな受け止め方をされるときがあります。酷い場合は、いじめや、攻撃、排除といった扱いをされるときもありましょうか。
まあ、これは仕方ないですね。
理解されないことは「当たり前」という覚悟は必要です。
ですので、世間と違うことを人前で言うときは、ある程度の覚悟も必要ですね。
「人と違う」「人と違う体験をしている」というのは、何かと苦労も多くなりがちです。
同じ価値観を持った者同士と一緒なのは生きやすい
あれやこれやと、思うままにタイピングをしていますが、同じような価値観を持った人が多くいるとラクですね。
人は、同じような価値観を持っている方々で、仲間なり、生活圏を形成したほうがよいと思っています。
動物でもそうですね。
犬は犬同士。
猫は猫同士。
スズメはスズメ同士。
同じ種族が共生したほうが生きやすいものです。人間は種族ではなく「価値観」ですね。
仕事で成功を目指す人と、趣味をモットーとする人ではまず合いません。
起業を目指す人と、サラリーマンで生きていく人では、これまた違います。
全く「合わない」ということもありませんが、同じ価値観を有しているほうが生きやすいですね。
悟りは価値観を超越する最高の生き方
しかし、そういう価値観すらも超越してしまい、価値観に規制されない生き方もあります。
それが非二元的な生き方ですね。
悟りです。
ただ徹底したところまで突き止めませんと、中途半端になります。かえって苦悩が巨大になります。
そういった事例は、いくつかあります。
ですが中途半端さを乗り超えて、ゴールに到達した方もいらっしゃいます。
たとえばバーナデット・ロバーツ。
バーナデット・ロバーツは、世間で揉まれ、孤独の中に生き続けつつも、神の寵愛を実感できていました。なので苦難を乗り越えることができたようです。
そうして、その最後に邂逅したものこそ「究極」であったと。バーナデット・ロバーツの手記にあります。
人には理解されない、孤独を感じるときがあっても、ま、いいじゃないですか^^;
自らの内の中に、神の息吹と寵愛を感じることができれば、その人の内面世界は他の方に理解されなくても至高が降り注いでいたりもします。