学校でのイジメや教師の体罰に思う~マス教育の限界

学校でのイジメや教師の体罰を巡る問題

学校でのイジメや教師の体罰を巡る問題が目立っていますね。

こういう騒動なりが起きると、
管理を厳しくするとか、
学校・教育委員会の体質を改めるとか、
まあ、そういう話しになっていきます。

そうしてこれらは明文化されて、管理が厳しくなって、現場の教職員らはますますマニュアル漬けとなっていくとか。

以前そんな話しを、現役の教師から聞いたことがあります。

学校によって対応の仕方も異なるのかもしれませんが、教諭職の皆さんは大変だと思います。

学校の先生のうつ病も増加

学校教諭の「うつ病」罹患率が毎年のように増加しています。

これ、現場の教員の話を聞くと「そりゃ、うつ病にでもなるよな」と思いますね。

親御さんも学校も神経質になりすぎかなあ。
すごく窮屈な感じも受けます。

学校の先生にうつ病が増えているのも、束縛され神経質な体質が原因になっているんじゃないのかな。

神経質な時代も教師の欝の原因に?

今の時代は昔に比べて、細い問題もクリヤーにしたがるようになっている気がします。

もっと大雑把でいいんじゃないのかな。
寛容で寛大。

時には「愛の鞭」として平手打ちもいいんでは?
と個人的には思います。

愛情のある「コツン」と、
愛情のない「ゴツン」は違いますよね。

見た目は同じに見えても、その行為に「愛情があるかないか」。

ここが大事だと思いますね。

で、神経質な時代も教師の欝の原因になっていそうです。

時代遅れの現代のマス教育

学校でのイジメや教師の体罰をみていますと、もっと根深いところに真因があるように思います。
原因も複数あります。

大きな原因の一つは、やはり現代の教育システムにあるんじゃないかと思いますね。

画一的に十把一絡げに教育しようとする教育方針は相変わらずだと思います。マス教育ですね。

が、もうこういうのは時代遅れですよね。

今やインターネットで独学できる時代

今や「勉強」だけでいえば、その気になれば、
・インターネット、
・楽天(アマゾン)、
・図書館
があれば充分できます。

平成の教育の「三種の神器」。
ネット、楽天(アマゾン)、図書館でしょう。この3つがあれば、大抵のことは学習できてしまいます。

ネット動画には、エクセルの使い方とか、いろんなことをレクチャーしてくれる動画すらもあります。

ネットで、ほとんどのことは勉強できてしまいます。もちろん、義務教育の履修科目もそうです。ネットには、わかりやすい解説サイトもあります。

また通信教育も懇切丁寧です。
基本的に、学習や勉強は「独学」がしやすくなっています。

こういうインフラが整った現代においては、今の教育が時代に合わなくなっています。

近代教育は富国強兵の「マス教育」

そもそも近代教育は、明治維新の富国強兵の思想の元、近代化を一気に目指す目的で作られた「マス教育」です。

国家や企業に使える人材を、まとめて作ろうとしたのが、近代教育のひな形・原型です。

ですが、この画一的かつ、戦前のノリで作ったマス教育は、もう現代には合わないのですね。
これを続けること自体が無理があります。

ですので歪みが出てきます。
分かりきったことです。

文科省が、全国を一律に管理して教育システムを作ろうとすること自体が、もはや時代に合わなくなってきているんだと思います。

端的にいえば、マス教育は「戦時体制」です。

利権・しがらみが教育改革のブレーキとなる

しかし文科省も、学校現場の実情については、本当は分かっているのでしょう。

けれども有効な手立てや改善策が打てないのでしょうね。おそらく。

利権や慣習もあって、話しをまとめることができず、国も国でなかなか身動きが取れないのではないかと。

人間は、いったん欲望が強くなると、一定のバイアスのかかった行動を取りたがります。

あるいはしがらみや慣習に拘束され始めると、行動が制限され、身動きが取れなくなることが出てきます。

利権(欲望)としがらみ。これらが複層的に絡み始めると、現状改革ができなくなることが多いものです。ブレーキとなってしまいます。

けれども、こういう状態にハマってしまうのは、どの世界でも起きがちです。

いえ世間とは、そういうものだったりします。いろんな「利権」「欲望」「しがらみ」の中で、不自由の中で、がんじがらめとなってしまう。

だから国といえそも、文科省といえども、教育の抜本的な改革なり改善ができなくなってしまのかもしれません。そういうものだと思います。

こう書いている自分も、もし、その立場になったら、たぶん同じようになってしまうかもしれません。いや、なると思います。

それだけ欲やしがらみは、いったん関わると離れにくくなる性質があるってことです。

イジメ問題や体罰は現代教育の限界の現れ

学校でのイジメ問題や教師の体罰は、近代から続いてきた「マス教育」の限界の現れでもあると思います。

十把一絡げに当てはめたり、管理することへの限界が来ているのでしょう。

そもそも人は、各人、別々な存在です。
個性を持っています。

明治時代のような大雑把な時代なら、強引な方法で教育する方法も通ったかもしれません。

けれども社会インフラがかなり整い、個性を活かし重視する時代になった今では、「個別対応」が必要なのでしょう。

個別対応が必要なのにも関わらず、旧態依然の「マス教育」をすることは無理があります。

その歪みが、イジメ問題や教師の体罰などとなって現れているという見方もできます。

今、教育は、大きな節目にさしかかっていると思いますね。

で、良い方向に刷新する過渡期にあるんじゃないかと思います。

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