ゆるっと自己啓発https://yurubossa.com/keihatsuゆるっとラウンジ別館Thu, 18 Jul 2024 01:40:38 +0000jahourly1https://yurubossa.com/keihatsu/wp-content/uploads/2024/09/yuruttologo-jikokeihatu-150x150.pngゆるっと自己啓発https://yurubossa.com/keihatsu3232 幸せになる2つの方法~「何かを成し遂げる」と「あるがまま」https://yurubossa.com/keihatsu/siawase2/https://yurubossa.com/keihatsu/siawase2/#respondThu, 18 Jul 2024 01:36:06 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=5439

目次 非表示 幸せになる2つの方法~「何かを成し遂げる」と「あるがまま」 無理に「何かを成し遂げる」系を実習することは無い 現代社会は「何かを成し遂げる」価値観で作られている 自然体としての「あるがまま」系 あるがままは ... ]]>

幸せになる2つの方法~「何かを成し遂げる」と「あるがまま」

いわゆる「幸せになる」ということに関していいますと、様々なアプローチもアリだと思っています。

アプロ-チには大きく分けて2つあります。それは、

・「何かを成し遂げる」系・・・引き寄せの法則、願望成就、アファメーションなど

・「あるがまま」系・・・プレゼンス、気づき、マインドフルネスなど

この2つですね。

ブログでは「悟り」について主につづっています。が、悟りに限定することなく、幅広くありとあらゆるものを認めています。

引き寄せの法則、願望成就(成功法則)、アファメーションも、それはそれで一つの方法だと思っています。これらは「何かを成し遂げる」系ですね。

無理に「何かを成し遂げる」系を実習することは無い

引き寄せの法則、願望成就(成功法則)、アファメーションは、「何かを成し遂げる」系のやり方です。

しかしながら引き寄せの法則、願望成就の方法、アファメーションを無理に行っている人達がいるんじゃないかと感じるときがあります。

本当は本心では、願望を叶えたいとは思っていなくて普段のままでいたい。

しかし世間の流れや雰囲気で、何かを成し遂げないとならないので、しがみついて、引き寄せの法則や願望成就の方法を行っているみたいな。

もしも、こういう状態にある方や、本当の動機に気づいている方は、無理をしてまでも、この手のアプローチを取るのは止めたほうがいいと思います。

現代社会は「何かを成し遂げる」価値観で作られている

現代社会では「何かを成し遂げる」というのは、金科玉条の如く信奉されています。社会そのものが成長神話に基づいて成り立っているからですね。

これは資本主義という「成長し続けていかなければならない」といった成長経済の神話に基づいているからです。

「常に成長し続けなければならない」という価値観や物語が信じ込まれているからですね。

ですので必然的に「何かを成し遂げる」という考えに陥りやすいのも当然です。また求められます。てか、これが「常識」になっています。

なので引き寄せの法則、願望成就(成功法則)、アファメーションなどのテクニックが支持もされ、広まるわけですね。これは資本主義経済に合致した有り様だからです。

自然体としての「あるがまま」系

けれどもこうした成長神話に基づく「引き寄せの法則、願望成就」といった「何かを成し遂げる」系とは異なるのが「あるがまま」系ですね。

いまここ。
プレゼンス。
気づき。
ただある。
あるがまま。
マインドフルネス。

ジャッジ(判断)を入れることなく、そのまんま受け止め、体感する。

ちょっとしたコツが要りますが、子ども時代の明るさ、天真爛漫さの記憶や思い出がある方は、「あるがまま系」の瞑想などを行い続けることによって昔の新鮮な感覚が、きっとよみがえってくるかと思います。

「いまここ」とは、言い換えますと「自然体」ともいえるかと思います。「あるがまま」ですね。

あるがままはエキセントリックな様ではない

ただ、その「あるがまま」は、いわゆる「非道」とか「反社会性」といったエキセントリックな常軌を逸した言動は含みません。

禅やノンデュアリティの中には、そういうエキセントリックな人もいたり、認めたりもしているようです。が、それはやっぱり違います。

「自然体」「あるがまま」とは、そういう常軌を逸したものではありませんね。

いみじくもブッダが、その八正道で、

・正思(ただしい思い・思考)
・正語(ただしい言葉)
・正業(正しい行い)
・正命(正しい生活)

と言われています。

八正道をみるだけでも、エキセントリックな有り様がおかしいことがわかります。

暴言を吐いたり、叩くとかの体罰をしたり、薬物がOKとか、あるいは滅多やたらに人を批難するとか、そういうことはあり得ません。

あるがままとは誰もが持っている自然な意識状態

「あるがまま」というのは、言い換えれば、誰もが有している天然自然な意識状態に立ち返っていくことですね。

で、それを実現する手法が、「気づきの瞑想」であったり、「プレゼンス」であったり、「いまここ」になるわけですね。

だからこそ「何もしない」といった言い方もされるわけですね。

これは文字通り「何もしない」のではなく、活発に動き回っている「~したい」という衝動や思考に取って代わる様をいっています。

で、ここに開けることが「あるがまま」系の要諦だったりもしますね。

まとめ

そういうことでして、「幸せになる」アプローチを整理しますと、2つに大別できます。

【何かを成し遂げる系】
・アファメーション
・願望成就(成功法則)
・引き寄せの法則

【あるがまま系】
・いまここ
・あるがまま
・プレゼンス
・気づきの瞑想

これらになります。ストレスが多く、複雑化している現代では、引き寄せの法則、願望成就、アファメーションも有効だと思います。

実際的な見地からいいますと、アファメーションを併用しながら、いまここ系を行うのが効果的だと思います。

で、次第に、漸次、「いまここ」系にウェイトが置かれるようになって、これが中心になっていくと思います。

今は2500年前と違いますので、現代に即した工夫なりも取り入れながら実際的な見地で行っていくのがいいんじゃないかとも思います。

2020.7.3

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ペイフォワード~善意が広がるポジティブで明るい時代https://yurubossa.com/keihatsu/payitforward/https://yurubossa.com/keihatsu/payitforward/#respondThu, 23 May 2024 11:40:00 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=17136

目次 非表示 損得抜きに善意をほどこすペイフォワード 映画「ペイフォワード」 ペイフォワード的な人は増えている 認知の善さとペイフォワード 不安な世相だが大丈夫 ペイフォワードなら未来は明るい 損得抜きに善意をほどこすペ ... ]]>

損得抜きに善意をほどこすペイフォワード

ペイフォワード(Pay it forward)

ペイフォワード(Pay it forward)とは、自分が受けた善意を他の誰かに渡すことで、善意をその先につないでいくこと。善意を与えてくれた本人に恩を返す代わりに、他の誰かに(先に)善意を送ることから、日本では「恩送り」とも言われている。

と説明があります。

要するに「損得抜きに善意をほどこす」といった意味になりますね。

映画「ペイフォワード」

で、以前、「ペイフォワード」が映画にもなったことがあるようです。映画のタイトルもズバリ「ペイフォワード」^^;

Pay It Forward – Trailer

映画は見ていませんが、善意がどんどん広がっていく話しのようですね。

いいですね^^

で、これは本当にその通りだと思います!

ペイフォワード的な人は増えている

ですので、日々、善き心と、善き行動、善き考えに基づいていることが大事ですし、できるだけそういう有り様でいたいと思い、取り組んでいます。

で、こうした考えや実践に根ざした人達が増えると、間違いなく世の中はよくなりますね!

で、うれしいことに昭和世代の私たちよりも、今の若い人達のほうが、ペイフォワード的な言動をしていると感じています。

ですので、未来は明るいし、希望もあると確信しているんですね(^o^)

昔に比べて、言葉の使い方や、相手に対するやさしさ、思いやりが増えているように感じているからです。

これは決して「楽観的過ぎ」ではないんですね^^

この流れ、この潮流は、年々大きくなっています。

認知の善さとペイフォワード

ペイフォワードと関係するのが「認知の善さ」ですね。

認知が善くなっていくと、必然的にペイフォワード的になっていきます。

ちなみに認知が善いのか悪いのかをわかりやすい説明した動画が、こちらにあります。お金を題材にしていますのでメチャわかりやすい^^;

【必見】「豊かさマインドを持つ人」と「欠乏マインドを持つ人」の決定的な違い5選【人生論】

この動画は、お金というわかりやすい例で説明していますが、「認知」という言葉に置き換えると、

・豊かさマインド・・・認知が善い
・欠乏マインド・・・認知が悪い

という言い方ができますね。
で、「豊かさマインド」こそ、まさにペイフォワードに連なるマインドです。

認知の有り様は、非常に大切ですね。「当たり前」と思われていることは、実は「当たり前」ではなく、「有り難い(有ることが難しい、滅多にない)」。

で、昔に比べて今は、本当に素晴らしい時代になっています。

不安な世相だが大丈夫

しかし最近は、世の中も喧噪していて、落ち着きがないといいますか、おかしな事件も続いています。

良い時代になっているにも関わらず、これをあえて破壊していく動きもあって---それがグローバリズムの動きに多い---なのでグローバリズムはよくないなあ、と感じています。

ですが、水面下において、一部の人達の意識は向上しています。

ですので、人類を統一管理するといったグローバリズムは、そんなに長続きしないと思うんですね。

仮にグローバリズムの世界になっても、どこかでほころびが出て脆くも崩れると思います。

ペイフォワードなら未来は明るい

私は未来に対して楽観的です^^

これは、まさにペイフォワード的な人達が増えていると感じているからですね。

そうして、こういう志を持った人たちを、より多くしたいとも願い、自分ができることから実践実行しています。

小さなリンゴであっても、植え続ける。誰が見ていなくても、この気持ち、この姿勢で生き、自分の周囲に善き影響を及ぼしていきたいと思っています。

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AI時代では教えレベルの宗教・哲学・倫理・道徳は必ず時代遅れになるhttps://yurubossa.com/keihatsu/osiejidaiokure/https://yurubossa.com/keihatsu/osiejidaiokure/#respondSun, 12 May 2024 10:49:01 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=17101

目次 非表示 教えレベルの宗教・哲学・倫理・道徳は限界を迎えている 宗教・哲学・倫理・道徳では意識は変容しない AI化する宗教・哲学・倫理・道徳が登場する AI時代でジレンマに陥るキリスト教 AI時代ではすべての宗教が見 ... ]]>

教えレベルの宗教・哲学・倫理・道徳は限界を迎えている

時代が悪くなっているという人がいます。

で、時代が悪くなっているのは、「宗教・哲学・倫理・道徳を大切にしてこなかったからだ」という指摘があります。

しかし、これは非常に浅薄で、思慮の浅い見解と言わざるを得ないんですね。手厳しい言い方ですが。

そもそも「教え」そのものは、今から2500年くらい前にもあり、人類は、先人の教えを受け継いで、実践もしようとしてきています。

キリスト教も(かなり問題を含みますが)、教えを学び実践してきている歴史があります。

しかし、現実は。。。

戦争と略奪の繰り返しです。

歴史をみれば明らかで、「宗教・哲学・倫理・道徳の教えを大切にしてこなかったことの弊害」ではなく、「宗教・哲学・倫理・道徳の【限界】」なわけですね。

宗教・哲学・倫理・道徳では意識は変容しない

そもそも一般的な宗教・哲学・倫理・道徳は、「教え・観念(思い、思考、イデオロギー)」です。

ところが人間は教え・観念では腹オチしないようにできているんですね。

腹オチとは、心底納得して身につくことをいいます。これを習得とか体現ともいいます。

で、腹オチするためには、武道などに見られるように「体」「感覚」を通して体得すること。

あるいは瞑想や黙想をして心の深い領域を感じ、その向こうにある叡智や善意識を体感体得することなど、教えや観念・思いとは異なるアプローチが必要だったりします。

今までの人類の歴史は、まさに教えとしての「宗教・哲学・倫理・道徳」に代表されるように、文字、言葉、教え、考えで表される「観念」です。

しかし、これでは人間の意識の変容をうながすことは難しく、今や限界にいたっているわけなんですね。

AI化する宗教・哲学・倫理・道徳が登場する

で、皮肉なことに、文字や言葉で表すことができる「宗教・哲学・倫理・道徳」は、AIが得意とすることで、AI化された宗教や神が遅かれ速かれ登場します(断言)。

AI宗教や、AI神はいずれ登場しますね。

で、これが可能なのは、結局、「宗教・哲学・倫理・道徳」は言葉化されている、言葉で理解されているからですね。言葉の範疇にとどまっているからとも言えます。

AIの登場によって、人類は、AIに脅威を感じて、言葉や文字、教えを超えた意識へシフトさざるをえなくなっていると思っています。

聖典の読み方も考え直す必要に迫られるでしょう。

キリスト教や仏教といった「文字や言葉で理解」している世界中の宗教は、AIの登場により深く考え直さざるをえなくなります。

で、否応が無く宗教の限界と向き合わなければならなくなります。

そうして従来の「宗教・哲学・倫理・道徳」のように言葉化された教えではなく、霊性や高次意識といった非言語的な善意識こそが人類にとって必要であり、人類の意識の変容をうながす突破口になることを、多くの人達が気がつくようになります。

AI時代でジレンマに陥るキリスト教

ちなみに、宗教の中で、もっとも面倒で問題が起きるのがキリスト教です。

ヨハネの福音書は、現代キリスト教の中核になる教えです。

ところがヨハネ福音書の冒頭にある通りで、世界は言葉(ロゴス)によって創成がはじまったとしています。なのでキリスト教にとって「言葉・教え」は絶対的になるわけですね。

この傾向は、聖書を絶対視し、聖書は絶対正しい(聖書無謬説)、聖書は神の使いである聖霊が作った神聖なる書物(逐語霊感節)としているプロテスタントには顕著です。

ですのでキリスト教(特にプロテスタント)にとっては、「言葉には限界がある」という考え方自体が、非常に抵抗感を抱くでしょうし、受け入れがたい見解になるのではないかと。

現代キリスト教を規定している中核が、皮肉なことに、言葉(ロゴス)が世界を創ったと伝える「ヨハネ福音書」となっている限り、キリスト教徒の呪縛は強いものがありそうです。

AI時代ではすべての宗教が見直される

けれどもAIの登場によって、聖書を捧持するキリスト教だけでなく、すべての宗教が見直しに迫られるようになります。

このテーマは避けて通ることはできないでしょう。

で、ここでも大分水嶺が起きると思います。

新しい意識へシフトしていくのか。
それとも古い慣習にしがみつくのか。

皮肉なことにAIやグローバリズムの浸透によって、「宗教・哲学・倫理・道徳」といった教えから脱却して、より叡智に開かれていく必要性が、人類には否応が無く求められています。

で、その動きはすでに始まっています。

AIは真似ができない宗教・哲学・倫理・道徳の本質

ちなみに「宗教・哲学・倫理・道徳」の本質は、普遍的な善心ですね。

なので、前向きな気持ち、物事の明るい面を見ようとするポジティブな認知や心の有り様が大切であり、これからますます求められていくと思います。

で、これらのポジティブな認知や考え、心は、さすがにAIには体得できません。

せいぜいそれらしい言葉を使って「物まね」を演じるしかできませんからね。

ですので「宗教・哲学・倫理・道徳」の本質を平たくいえば、ポジティブな心や考え、意欲的に取り組む姿勢、明朗さ、上機嫌などの「徳」「善心」ということができます。

言葉化された教えを字面通りに守るといった「宗教・哲学・倫理・道徳」は、AI時代では適応が難しく、時代遅れになることは必至ですね。

AI時代とマズローの欲求6段階説

「最終的には1人ひとりが問われている」ということになりますね。

ますます「個」に内在する可能性や高次意識への関心や重要性に気がつく人は、増えていくようになります。

現代人の多くは、昔のどの裕福な貴族や王様よりもリッチで便利で快適な生活をしています。

マズローの「欲求5段階説」の通りで、現代の多くの人が、五段階目までいたり満足しています。

ちなみにマズローは晩年「欲求6段階説」を唱えて、6番目の欲求こそ高次意識・至高意識を求める段階といっています。

マズローもそうですが、感性の鋭い人は高次意識に注目するところがありますね。

希望あふれる未来

で、昔に比べて、先進国の人達はあらゆるレベルアップしています。これと並行してグローバリズムを進めようとしていますが、グローバリズムはどう見てもかなり無理があることがわかります。

視座を高くしてみれば、希望しか見えないんですよね^^

で、こうした希望のある物の見方、受け止め方こそ、ますます人類に求められ、既存宗教に取って代わる本質的な善き考えであり善心になりますね。

既存宗教は、ますます形骸化し、やがて滅びる運命か、博物館行きの前時代的な代物に成り下がるのが多くなると思います。

こうしたことが、AIの登場やグローバリズムの浸透によって、皮肉なことに浮かび上がり、人類への大いなるテーマとして突きつけられているようにも感じています。

教えの本質を体現する人達は増え続ける

好む好まざるに関わらず、宗教・哲学・倫理・道徳、思想も曲がり角に来ています。

こうした時代では、瞑想はおすすめですね。

瞑想や実践を通して、宗教という垣根を越えて、叡智といわれる高い知性や高次の意識の体現に励む人達も、ますます増えていくようになりますね。

何らかの思想や宗教を信奉することへの弊害に気がつき、いわゆる「無宗教」となりながらも、宗教の本質を理解し体現しようと努める人は増えていきます。

実際、そういう人達は多くなっていますね。

私としては原始仏教へリスペクトしながらも、エッセンスを抽出して実践をしています。

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認知を善くすることの大切さとマインドフルネスhttps://yurubossa.com/keihatsu/ninnchiyokusuru/https://yurubossa.com/keihatsu/ninnchiyokusuru/#respondTue, 07 May 2024 10:05:07 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=17092

目次 非表示 認知を善くすることの大切さ 認知改善には時間がかかる場合もある マザー・テレサの認知改善の言葉 認知行動療法こそ認知改善の実践法法 最初からできないと思わないこと マインドフルネスが役に立つ まとめ 認知を ... ]]>

認知を善くすることの大切さ

こちらでスィートランド著「自己を生かす」とポジティブシンキングについて書きました。

ポジティブシンキングの元祖~スィートランド「自己を活かす--私はできる」

この続きになりますが、で、スィートランドの書もそうですが、要するに「認知を善くする」ということなんですね。

「認知」とは、受け止め方、理解の仕方、考え方を包括した認識作用のことをいっています。

心理学にも「認知行動療法」というのがありますが、認知が善くなると、世界がバラ色になります。

バラ色までにいかなくても、認知が善くなると、見るもの聞くものが喜ばしく感じられ、微笑ましくもなります。

そうして感謝の気持ちが出てきて、世界が平和で豊かさにあふれていることをしみじみと実感できるようになります。

これは経験上、本当にそう感じています。

で、これが実現できる一つが、「自己を活かす--私はできる」ということですね。

認知改善には時間がかかる場合もある

認知をよくする場合は、数年で変わることは実際は少ないかもしれません。

現実的には、何年、何十年とかけて認知を善くしていくものかもしれませんね。

で、時々ネガティブになりながらも、次第に認知が善くなっていくと。

ちなみに認知が善くなると、善き心となっていきます。

マザー・テレサの認知改善の言葉

認知がいかに大切なのかは、マザー・テレサの有名な言葉にもある通りです。

思考に気をつけなさい、それは、いつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それは、いつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それは、いつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それは、いつか運命になるから。

これは「認知」のことを言っています。

要するに「認知に気をつけなさい」ということになりますが、認知を善くする具体的なステップとしても受け止めることができます。

日頃の考え、受け止め方、理解の仕方に気をつけて、善くするように努めていると、やがて、それが言葉にあらわれ、行動に出て、習慣となって性格(第二の天性)となっていきます。

これは本当にその通りです。

認知行動療法こそ認知改善の実践法法

で、これらは煎じ詰めれば心理学の「認知行動療法」という言い方ができます。

「認知行動療法」には

◆第一世代
行動療法(伝統的な宗教にみられる「教え」の実践)

◆第二世代
認知行動療法(認知を善くしながら行動を改める実践)

◆第三世代
マインドフルネス(あるがままといった中立的な有り様になることで、誰もが内在している善性を表面化させて心身を健全にする方法)

といった三種類があります。

で、私は、これら3つを導入して瞑想実践に取り入れています。効果はあります。

最初からできないと思わないこと

注意しないといけないのは、自己憐憫、最初から「できない」と思い込むこと、否定的な気持ち。で、これらは日頃の習慣、クセなんですね。口グセ、考えグセだったりします。

そのクセを改めていくのが、一連の認知行動療法になります。

マインドフルネスが役に立つ

またクセに気がつく必要もあります。気がつくためには、マインドフルネスが役に立ちます。

このように、ちゃんとした教えを学び、実践することで、人は変わります。

これは自分の経験を通しても言い切れることです。

本当に効果のある教えや実践があります!

まとめ

認知を善くすることはとても大切だと思っています。

受け止め方、理解の仕方、考えが善いといいますか、適切ですと、少々のことで不満をおぼえることは減っていくようになります。

で、前向きで、ポジティブなものがありませんと、たとえば「反グローバリズム」といったこととの向き合い方も不適切になると感じています。

つまり、自分自身が抱えている不満や怒りを反グローバリズムに投影して、反グローバリズムを唱えることで自らの不満を解消してしまうという姿勢。

実は、これは不健康な有り様だと感じています。

認知を善くしていくことはとても大切なことであり、宗教や思想に関係なく、誰もが気をつけて、そうして習得していく必要があると思っています。

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ポジティブシンキングの元祖~スィートランド「自己を活かす--私はできる」https://yurubossa.com/keihatsu/jikowoikasu/https://yurubossa.com/keihatsu/jikowoikasu/#respondFri, 26 Apr 2024 11:10:33 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=17016

目次 非表示 スィートランド著「自己を活かす--私はできる」はすごい ポジティブシンキングの元祖「自己を活かす」 「自己を活かす--私はできる」の口コミ・レビュー 困難を乗り越えることができる 最も効果があった本 良書中 ... ]]>

スィートランド著「自己を活かす--私はできる」はすごい

逆境にあっても前向きになれる教えや学びがあります。

強い意志といいますか、前向きな心、ポジティブな気持ちは、適切な教育や教えと、これに基づく実践で実現できる方法があります。

私がもっとも学びになったのは、20才頃に読んだこちらの本です。

スィートランド著「自己を活かす--私はできる」

ちなみに、この本に感動し、実践をし始めた1年後、私に一瞥体験が起きました。

この本は、創造主を意識して行う「ポジティブシンキング」の実践書だったりします。

ポジティブシンキングの元祖「自己を活かす」

スィートランド著「自己を活かす--私はできる」は、「ポジティブシンキング」の元祖です。

「成功術」ともいわれていますね。

アメリカの光明思想(ニューソート)の流れを受けた自己啓発になります。

で、もっとルーツをたどればキリスト教になります。

著者によれば、この本は、聖書の教えに基づく「創造的心理学」という自己啓発書であるといいます。

当時、この本を読んで目から鱗、気持ちがパーっと明るくなり、やるぞー!という意欲が高まったことを今でも憶えています。

人が挫折する要諦や、意欲を持ち続けることなどなど、大変役に立つ実践型の教えにあふれています。

「自己を活かす--私はできる」の口コミ・レビュー

実際、「自己を活かす--私はできる」を読んだ方々のレビューを読むと、この本のすごさがわかります。アマゾンレビューより抜粋します。

困難を乗り越えることができる

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/
この本を読破することによって、毎日のモチベーションが明らかに違います。読み終えてから実践するなか、すでに家庭や仕事で目に見える結果が出ました。大変感謝しています。

なによりも、常々困難で苦しく辛いと思う多くの日々が、それら困難を乗り越える過程を楽しめるようになったことです。これは私の人生にとっては革命的変化です。

この本が、よりたくさんの方に読んでいただけることを、心から望みます。

最も効果があった本

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/
これまでこの手の本をたくさん読んできましたが、正直即席で最も効果があった本、今後も何かに迷った時、困った時、壁にぶつかった時に、繰り返し読みたい一冊、むしろこの一冊だけでいいかなと思えるくらいの一冊となりました。

桑名さんの著書 ”自分を思うままに動かす”は スイートランドさんの著作を翻訳しながらそこから得た知識にご自身の知見を加えわかりやすくしたもののようです。

スイートランドのこの著書は ”自分を支配する”、る”習慣を支配する”方法に言及している他に、”魅力ある人柄をつくるには”や”結婚生活は幸福でありうる””自分にあった配偶者を選ぶには”等、人としてどうあるべきか、どう生きるべきかをご自分の経験や知識をもとに広く論じていて、またそのどれもに納得のいく理由・理屈が付けがあって、さながらわかりやすい哲学書のようです。 

良書中の良書

ご覧の通りでして、これらのレビューは本当に、この通りです。

スィートランド著「自己を活かす--私はできる」は良書中の良書です。

本当に素晴らしい「実践型の啓蒙書」でもあって、実際に行動に移すことで、その真価がわかるようになっています。

キリスト教の教えに基づく「自己を活かす--私はできる」

で、この本は、聖書(キリスト教)の教えに基づくとあるのですが、当時はよくわからなかったものでした。

しかし昨年、聖書を読破して、「自己を活かす--私はできる」の源流が、確かに聖書の一節にいくつかあるのがわかったものでした。たとえば、

マルコによる福音書 11:23 新共同訳
はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。

「自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる」、これです。

これは本当にその通りで、日頃、自分が考えていること、思っていること、口グセは、自分の習慣や性格を形成します!なので、これらに注意をはらって、善くするように努めていくことが大切だったりします。

継続・続けることが大切

ちなみに、こうした実践では、順調に進むことは無く、「3歩進んで2歩下がる」を繰り返しながら、少しずつ変わっていくようになります。

つまり、とことん続けていくこと、途中いろいろとあっても続けていくこと。これが要諦になります。で、「自己を活かす--私はできる」には続けていく秘訣も書いてあります。

で、マルコの一節の通り「自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる」。

形になるまで、ひたすら続けていくことです。で、続けるコツも、この書にはあるということです。

プラス思考は大切

私は昔から「前向きな心(プラス思考、ポジティブシンキング)」を大切にしています。

否定的だったり、後ろ向きなのはよくないんですね。なにか妙なものが伝播していく感じも受けて、よくないなあと感じます。

ですので、基本的にはポジティブさを大切にしています。少々のことではへこたれないといいますか。

こうした空気というか教えと実践は、今でも大切にしています。

聖書の教えをもとにして実践型の人生指南書にした「自己を活かす--私はできる」も、こうした精神があります。

苦しいときでも楽観的になれることは大切

環境に左右されることなく、こう言ってはなんですが、つらいときでも苦しいときでも、前向きに楽観的に過ごすことは大事だと思っていましてね。

実際、私は、10代の頃から40才くらいまでは大変といいますか、逆境が多く、客観的にみれば苦しい環境だったものです。

けれども、その環境に負けていじけることなく、気持ちを前向きに、楽観的に、そうして物事の善い面を見つづけることを意識したりしていくと、紆余曲折を経ながらでも楽観的になっていくようになります。

また、困っている人や悩んでいる人のサポートも効果的です。本気でその方がしあわせになるようなサポートをしていると、だんだんと、自分の気持ちも明るくなり、楽しくなっていくんですね。

「二歩進んで三歩下がる」でも継続することが大切

で、こうした修行を続けていると、環境に影響されるのが減り(まったく無くなることはないけれども、幾分減っていくようになります)、自分の内側から自ずとよろこびや心地よさがわき上がり、それが次第に身についていくようになっていきます。

苦しいときこそ笑顔で楽しく、不満を感じるときこそ、小さな喜びと満足を見出すといったことを心がけて、こうした生活をしていると、前向き、希望、楽観的、感謝、よろこびというのが、第二の天性になってくると思います。

決して順調に進んでいくわけではありません。

「三歩歩んで二歩下がる」、いえいえ実際は「二歩進んで三歩下がる」といったことを繰り返しながら、ちょっとずつ変わっていくというのが本当のところですね。

けれども、実際に、こうした体験をしていますので、人が変わる、変容するコツみたいなものがわかるところがあります。

創造主への祈りも大切

そうして本当に創造主に身ささげをして、本当に人々の平和を祈り続けてていると、心は必ず明るくなり、希望にあふれ、見るものが美しく感じられ、神のよろこびとでもいってよいような喜悦にあふれ、時に涙する喜びにもひたるようになります。

歓喜、至福。

こうした美徳が、神への祈り、創造主へのみささげにより生じてくるんですね。感じられてくるようになります。

だから、祈りは大切なんですね。

実践ことが大切

しかし、考えてばかりいたり、言葉だけを唱えていては、体得体現はできないんですね。

全身全霊が、本気でその「感覚」になりきる、なりきろうとし続けて、そうして生活においても、こうした美徳を感じながら、意識しながら過ごしていますと、何年、何十年かすると、知らない間に美徳が身につくようになります。

これは私が実際に行い、経験してきた実践です。宗教に関係無く、誰でもできると思います。

要は「やるかやらないか」ですね。

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小野伸二「GIFTED」と経営科学出版本https://yurubossa.com/keihatsu/onosinji-gifted/https://yurubossa.com/keihatsu/onosinji-gifted/#respondMon, 15 Apr 2024 10:12:23 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=16702

目次 非表示 小野伸二「GIFTED」を読む メチャ読みやすい小野伸二「GIFTED」 幻冬舎のゴーストライター? 文章は読みやすいのが望ましい 日本では知られていない「世界の真実」を広める経営科学出版本 経営科学出版本 ... ]]>

小野伸二「GIFTED」を読む

市内の図書館には、新着本が入るとメールでお知らせが届くシステムがあります。

で、私は、仏教書や幻冬舎などの新着本のお知らせが入るようにセットしてあるんですね。

で、この前「小野伸二『GIFTED』」という本が入ったお知らせメールが来ましてね。

はて?小野伸二ってどこかで聞いたことがあるぞ?お坊さんだったかな?

と思いながら「予約」。
が、既に9人くらいの予約があって人気本。

が、この前、ようやく順番が回ってきたんですね。

で、図書館から借りると、ああ、小野伸二さんって、サッカーの小野さんね。

と合点した塩梅。

これこれ^^;

静岡県在住なら、小野伸二さんは知っていますよね^^;

私も知っていたんですが、顔と名前が一致していませんでした。

そんなことから、小野伸二さんの「GIFTED」を借りることになったわけですね。

メチャ読みやすい小野伸二「GIFTED」

で、小野伸二さんの「GIFTED」。

もうね、びっくり。
何がびっくりしたかといえば、その読みやすさなんですね。

300ページくらいあるんですが、サクサク読めて、気がついたら100ページくらい読んでいるんですね。

時間にして30分くらいでしたかね?

もう「あらよっ」と読めてしまうわけです。

このスピード感、サクサク感。

読んでいて、メチャ気持ちいい^^

もちろん、小野伸二さんの天才的なエピソードも、読者をグイグイと惹きつけるんですが、その文体といいますか、文章が、メチャ読みやすいんですね。

幻冬舎のゴーストライター?

で、小野伸二「GIFTED」は、なんと幻冬舎からの出版です。

たぶん、文章は、小野伸二さんが書いたものではなく、インタビューした音声を元に、誰かが文章化したんだと思います。

実際の筆者は、ゴーストでしょう。
ゴーストライター

しっかし、読みやすいんですよね。
ザクザク読めてしまう。

たぶん2時間もあれば、完読できると思います。

文章は読みやすいのが望ましい

文章は読みやすいのが望ましいんですよね。

お菓子を食べるかのように、気楽に、サクサクと読めてしまう。

こんなノリの文章はいいんですね。

幻冬舎は、とにかく多くの読者に読んでいただこうという精神が強くありますので、文体、文章への読みやすさは徹底していると思います。

しかし、世の中には、読みやすい文章だけとは限りません。

日本では知られていない「世界の真実」を広める経営科学出版本

小野伸二さんの「GIFTED」を読んでいて、つくづく思ったんですが、経営科学出版の本。

経営科学出版からも、良書がたくさん出ているんですね。

海外の翻訳本もたくさん出ています。

最近では、「The Real Anthony Fauci(ファウチの真実)」という、上中下の3巻からなる大著も出ています。

コロナとワクチンの真実が描かれた世界的大ベストセラー。著者は暗殺されたJ.F.ケネディの孫にあたる、ロバート・ケネディ・ジュニア

ロバート・ケネディ・ジュニアは、今、アメリカでは、トランプと並ぶ絶大な支持を受けています。

が、こうした情報は、日本では報道されません。「The Real Anthony Fauci(ファウチの真実)」のことすらも報道されません。

世界の真実が公開されているにもかかわらず。

で、日本ではまったく知られていないものの、欧米では周知となっている真実を、経営科学出版は著書にして出しているんですね。志は尊い。貴重な出版社です。

経営科学出版本の読みにくさ

が、経営科学出版の本は、とにかく読みにくいんですね。メチャ読みにくい。

学術書のノリなんですね。

以前も書きましたが、経営科学出版の本は、総じて読みにくい。

経営科学出版の550円翻訳本は読みにくい

何冊も購入しましたが、翻訳がイマイチで、すべて読書を断念しています。完読していません。せいぜい斜め読みです。

なので、「The Real Anthony Fauci(ファウチの真実)」は購入しませんでした。

てか、経営科学出版の本は、購入するのを控えています。

またどうせ、読みにくい本なんだろうな、というのがわかるからです。

世間に周知させるなら「読みやすい文章」に

経営科学出版から出ている本は、本当は必須の知識であり、重要なものが多いんですね。

「The Real Anthony Fauci(ファウチの真実)」などは、コロナの真実が赤裸々に書かれた本ですので、本当は知っておいたほうがいい内容なんです。

ところが、読みにくいため、読む気にならないんですね。

いわば、説明の仕方が下手な本。

やたらと専門用語や難解な言葉を使って、話しが長かったりして、わかりにくい。

そんな調子で翻訳していますので、ほとんどの人は読まないと思います。

読まれない本は存在していないと同じ意味

しかし、「読まない」「読まれない」ということは、世間に広まらないということなんですね。

はっきり言いますと、学術書のような翻訳をしている時点で終わっているんですね。

世間に広まらない。
せいせい一部の人しか知られない。

これでは実質、「存在していない」ことになってしまいます。

これで本当にいいんでしょうかね?

大事な情報を世間に広めようとしない。
読みにくい翻訳本を出し続けている。
結果的に、広めようとポーズを決めているだけになってしまっている。

その点、幻冬舎が手がけた小野伸二さんの本は、読みやすい。メチャ読みやすい。

読みやすい本にするほうが、世間に知らしめるにあたって、いいんじゃないかと思いますけどね。

と、そんなことを思った小野伸二さんの「GIFTED」。

重要な情報や話題は、できるだけ多くの人に知っていただくように、読みやすい文体、文章にするのが望ましいと思います。

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東大理Ⅲ合格&お受験と将棋の奨励会は似ているhttps://yurubossa.com/keihatsu/toudairi3/https://yurubossa.com/keihatsu/toudairi3/#respondSun, 31 Mar 2024 10:53:57 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=16709

目次 非表示 東大理Ⅲは年間100人しか合格でいない偏差値73の狭き門 有名中学と進学塾へ通っていたことを語るYouTubeが面白い お受験の実態 神童&裕福な家の子どもが難関中学へ進学 お受験はお金がかかる 恵まれた人 ... ]]>

東大理Ⅲは年間100人しか合格でいない偏差値73の狭き門

東大理Ⅲ。
「東京大学理科Ⅲ類」の略ですね。理科Ⅲ類とは、実質「医学部」です。

東大医学部といえば、東大理Ⅲ(理科Ⅲ類)といっても、ほぼ間違いはなさそうです。

で、東大理Ⅲ。
偏差値73。
東大の中でも最も難易度が高く、日本の最高学府。

年間100人しか合格できない、エリート中のエリート。

それが東大理Ⅲ。

日本の学歴社会の金字塔ですね^^
素晴らしい。

ちなみに、東大理Ⅲといえば、「佐藤ママ」でお馴染みの佐藤亮子さんでしょうね。三男一女をすべて灘中学へ進学させ、東大理Ⅲに合格させた凄腕社長ならぬ、凄腕かーちゃん。

東大理Ⅲは、「受かるモンなら受かってみろ」といったまさに天才集団といいますか、現在の受験システムに最も適応ができている頭脳集団の方々ですね。

ホント、金字塔です。

東大受験と合格をめぐって、毎年、2月3月になると、東大受験関連の記事も出ますね。

36歳にして東大生活18年目。8年で東大法学部全3コース制覇した「長期在学男」が語る「東大の流動化」「煩悶青年」「将来の夢」

偏差値70超、東大合格率1位の名門卒→レジェンド男優 人生激変の衝撃理由告白 同級生は官僚、東大教授

東大医学部に合格できたのは「ただ運がいい」だけ…精神科医・和田秀樹が本心からそう断言する納得の理由

「幼稚園の頃から『東大に入りなさい』と母に言われて…」偏差値78の元ミス東大・八田亜矢子(39)が語る“勉強がすべてだった”子ども時代

有名中学と進学塾へ通っていたことを語るYouTubeが面白い

実は、最近、有名進学塾へ通い、有名中学・高校に通っていた人達がYouTubeで動画配信をしていることを知りましてね。

有名進学塾というのは、たとえば、浜学園、日能研、SAPIXなどの進学塾ですね。で、灘中学校とか、筑波大附属駒場中学とか、開成中学、聖光学院といった難関の中学に合格し、小学生の頃から高校時代までの話しを、おもしろおかしく発信しているんですね。

で、これがホントおもしろく、最近はよく見ています^^

メチャおもしろんですね。
ちょー面白い^^

自分とは全く異なる異次元の世界であり、殿上人の世界なんですが、それ故に興味津々。

あー、これが「お受験」と言われている世界の実態なんだなーというのがわかって、メチャ学びにもなります。

で、こうした道を歩む子どもの多くは、経済的に恵まれた裕福な家の生まれが多く、また生まれながら抜群の日本語読解力や記憶力があるんですね。

いわゆる「神童」です。
しかも「経済的」にも恵まれた「神童」。
お金もある頭脳優秀な人。

こうした経済的にも恵まれた神童が、やがては東大理Ⅲに合格していくようなんです。

これ自体、ちょっとビックリなんですね。

お受験の実態

ちなみに「お受験」といえば、マスコミの報道とかの影響で、「小さい頃からやりたくない勉強をさせられて可哀想だなー」なんていうイメージもあったんですが、ところがどっこい。

実際はまったく違うんですよね。

もちろん、ハラスメントのようにスパルタで勉強させられる子どももいるかもしれません。東大教授の安冨歩さんのような方もいらっしゃるかもしれませんね。

しかし、安冨歩さんのような方は、もしかすると少数派なのかもしれません。

というのも、YouTube配信している方々は、楽しい中学受験時代の話しをしていたりして、見ていても気持ちいんですね。

で、皆さん、育ちが良さそうで、よさげな感じ。

で、そもそも勉強とかが好き。

さらに、親が医者であるとかで、家が裕福だったり、経済的に恵まれた家庭の子どもが多いんですね。

神童&裕福な家の子どもが難関中学へ進学

実際、有名中学に受かるためには、小学3年生から進学塾に通うわけですが、進学塾の授業料だけでも年間100万くらいかかるとか。

ひょえーー。

これが小学6年生まで続きますので、軽く300万円以上かかるわけですね。

で、結局、経済力のある家庭の子どもしか進学塾へ行けませんので、必然的に、灘中学や筑波大附属駒場中学、開成中学といった有名中学へ進学するためには、「親の経済力」が欠かせないわけなんですね。

つまり、ただ単に頭が良い、記憶力が良いだけではダメで、年間100万円以上の塾代を出せる家庭しか、有名進学校へは行けない(行きにくい)システムになっているわけですね。

もちろん、塾に通わず、自力で灘中学などに合格する子どももいるようですが、これは稀なケースのようです。

多くは、裕福な家の子ども。

「親ガチャ」なんて言葉もありますが、まさに「親ガチャ」を地で行くような人生で、「こーゆー世界があるんだなー」と、思わずニンマリしてしまいます^^

いえね、恵まれた環境に生まれて、恵まれた人生や生涯を送ることは良いことですので、こうした幸運な人生は、もっと伸ばして、活かしていただきたいと思いますね。

お受験はお金がかかる

親の経済力は、まさに「親ガチャ」なんでしょうが、有名中学にスルっと合格するような子どもは、先ほども少し書きましたが、2才~3才で文字が読めたり、理解できたり、記憶力が抜群な子どもなんですね。

まさに「神童」です。

「2才くらいで日本語を読んで親を驚かせた」とか「文章が読めた」という方もいます。ある種の「天才」でもあると思います。ギフテッドです。

で、こうした「神童」のうち、経済的に裕福であると、年間100万円以上かかる進学塾へ通うことができるようなんですね。

で、その塾ライフも、決して悲壮感漂うものではなく、遊びのように楽しみながら、またスポーツも行いながら、ちょっと余裕をかましながら、スルっと灘中学にも合格しているようなんですね。

もちろん全ての子どもがそうとは限りませんが、「必死の形相」というイメージとは異なる子どもが、意外と多いってこと。

まさに「殿上人」ですね。

恵まれた人生には理由がある

こうした「お受験」を通ってきた方々の話を聞くと、学びになるんですよね。

で、世の中って、こういうもんなんだなーと思います。

平均より飛び抜けた僥倖に恵まれる人達が、一定数いらっしゃるという事実。

で、このように恵まれた人がいることは良いことなんですね。

なぜなら、誰もが、そのようになる可能性を持っているからです。

はい、人は、誰でもしあわせになれます。それは「業報」を学べばわかることです。

現世において、飛び抜けて幸せな方々は、過去世で必ず善き行為をしています。で、これは万人に当てはまる真理なんですね。

なので、現世で超絶ラッキーであるとか、幸せな人は、お手本といいますか、業報のサンプルとして学びになるんですね。

こんなに恵まれた人達がいるんだ。

これ自体、見方を変えれば福音なんですね。

人が幸せになれる見本のような存在。貴重な存在なんですね。

なので、裕福な家に生まれ、才能も優れた神童と、子ども時代からのエピソードを聞くことができるのは、学びになりますし、すごくおもしろんですよね^^

東大理Ⅲへ行ける子どもは生まれながらに違う?

で、話しを戻しますが、東大理Ⅲに行ける人といのは、生まれながらにして「家は裕福」で「能力も高い」という厳選された子どもが多いんですね。

で、親ガチャにも恵まれ、才能にも恵まれた、そんな神童といいますか、天人の子のような子どもが、小学生の頃から、浜学園、希学園、日能研、SAPIXなどの進学塾へ通って、その後、進学エリートの道を歩んでいくようなんですね。

で、こうした子ども達の中で、わずか100人が「東大理Ⅲ」へ合格。

すごい世界ですよね。

いやー、ホント、すごい。
で、こうしたルートを歩んでいる方々は素晴らしいと、本気で思います^^

これだけ恵まれた環境と能力、そうして平均以上に幸福に恵まれる可能性がある人生に、シンプルに素晴らしいと思います。

まさに「殿上人」。

いいじゃありませんか(^o^)

学歴エリートは成功の一つに過ぎないが、でもすごい

もちろん、言うまでもありませんが、こうした「学歴エリート」は、人生の成功や幸せを推し量る物差しの一つに過ぎません。

学歴エリートをもってして、「人生の成功そのもの」というのは、さすがにナンセンスなことは言うまでもありません。

人生における「成功」というのなら、学歴以外にも、経済力、地位、各種の才能、業績、その他、数値化されない能力、ほとんど気にかけられない才能や能力などなど、多種多様です。

そもそも「成功」という概念そのものが、一つの観念であり、認知であって、人によって「何をもってして成功とするのか」も違ってくるわけですね。

けれども生まれながらに経済的にも能力的にも恵まれ、まるで「人生の成功」が約束されたかのように、小学生の頃から浜学園、希学園、日能研、SAPIX、四谷大塚といった進学塾へ通う。

で、灘中学や筑波大附属駒場中学、開成中学などの有名中学に進学し、偏差値の高い進学校へ進学し、そうして東大などに合格し、殿上人のようなキャリアを重ねていく。

これ自体は、すごいことですし、びっくらこきまろ級のすごいことだと思いますね。

将棋の奨励会に似ている東大理Ⅲ合格

で、東大理Ⅲ合格といいますか、神童と言われる子どもが、有名進学塾へ通い、有名中学に合格し、有名高校に進学し、東大理Ⅲに合格するといのは、将棋の「奨励会」システムに似ているんですよね。

奨励会。

奨励会は、将棋の「虎の穴(古っ)」と言ってもよい、将棋棋士がプロになる登竜門です。

奨励会の厳しさは、以前、こちらで書きましたので、ご興味があればお読みになってみてください。

最近では、将棋の八大タイトルを総なめした「藤井聡太」くんが話題になっていますが、藤井聡太くんがプロとして活躍できるのは、「奨励会」の出身だからなんですね。

ええ、将棋のプロ棋士になるためには、奨励会に入って、26才までに4段にならないと、プロにはなれません。

奨励会とは、いわば将棋界の「難関中学や高校」あるいは「東大理Ⅲ」のような存在です。

しかし難関中学・高校といっても、超難関校です。それこそ、灘、筑波大附属駒場、開成といった超難関校と同じようなハイレベルな集団。「東大理Ⅲ」といってもよい世界。

なので「奨励会」に入門できること自体が、メチャハードルが高かったりします。

そもそも奨励会に入るのは「子ども」なんですが、ふつーの子どもは入ることができません。

各県でナンバー1か2になるくらい、メチャ将棋の強い子。

こうした子どもが、全国から集まって入門し、しのぎを削るのが「奨励会」なんですね。

奨励会に入ると、戦いの日々。各県の将棋の天才が集う奨励会で、将棋を指し、勝った者が上ははいあがっていくシステム。

で、26才までに四段になれないと、追放。

ええ!?って思うかもしれませんが、26才までに四段(つまりプロなんですが)になれないと、永久追放です。

こんな熾烈な世界で、しのぎを削り合って勝ち進むと、名人戦とか、王将戦とか、棋聖戦といったタイトル戦に挑むことができるようにもなるんですね。

奨励会もお受験も似ている

実は、藤井聡太くんも、羽生善治さんも、みんな、この過酷な戦いの世界を勝ち抜いてきた方々なんですね。

で、これが将棋の世界なんです。

で、どこか「お受験」の世界とも重なるんですね。

端から見ると厳しい世界でも等身大で歩む人達

しかし奨励会もそうなんですが、頂点を極める人は、どこか余裕があるんですよね。

必死の形相って感じでないんですね。

どこか飄々(ひょうひょう)として、さわやかなところもあったりします。

ある意味、等身大なのかもしれません。

もちろん、勝負の世界ですので、勝ちへのこだわりや執念は、半端ないものがあるとは思います。

が、普段は、わりと飄々としているようなんですね。

で、これはお受験といわれる世界を歩んできた人にも、同じものを感じさせるわけですね。

結局は「徳」

結局、「徳」なんですよね。

徳。

徳があるのは、あんまり気張らなくても、すーっと歩めてしまう。

お受験の道も、奨励会の道も、どちらもすんなりと、わりと等身大のまま歩んでゆける。

無理が無いとも言えるんですね。

ところが、徳がないと、すーっと自然に行けない。

なので必死になってガンバリズムの極地に陥り、自分を痛めつけてまでも励むといったことにも。

ガンバリズムは修羅や天狗界にゆきやすくなる

で、この手のガンバリズムは、悪い意味での修行です。

はい、この姿勢は、天狗界へ直行ですね。

勝負の世界は修羅の世界で、天狗界です。

てか、修羅や天狗界に行きやすいところがあるってことなんですね。

なので、一見すると勝負の世界に見えても、勝負にこだわらず、お気楽に楽しくやっていける人、で、そうしている中で「あれ、勝っちゃった」というくらいがちょうどいいんですよね。

能力の発揮の仕方といいますか、険しく戦いながら能力を発揮していくというのではなく、平穏であり、ゆるりとした、その生き様の中で、優れた成績を残せるというのが、実は、とても大事なことなんじゃないかと思いますね。

で、こうしたゆるっとした姿を、お受験を通ってきた子どもたちに見出すことも多く、また将棋の世界では、藤井聡太くんや羽生善治さんに見出しますね。

畢竟、親ガチャでなくても、どんな環境でも、「ありがたやー」といった気持ちを持って、ゆるりとお気楽にしていくことができれば、善いことなんじゃないかと思いますね。

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関わってはいけない人の3つの特徴とは五戒を破る人と同じだったhttps://yurubossa.com/keihatsu/gokaiyaburu/https://yurubossa.com/keihatsu/gokaiyaburu/#respondWed, 13 Mar 2024 12:11:26 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=16752

目次 非表示 関わってはいけない人の3つの特徴 仏教の五戒が戒める盗み・傷害・嘘 テイカー・怒りん坊・不幸にする嘘は人と社会を悪くする テイカー 怒りん坊の人 人を不幸にする嘘をつく人 仏教の五戒を実生活に即して表現する ... ]]>

関わってはいけない人の3つの特徴

ネットで見かけたカウンセラーのコラム。

【超危険! 出来る限り関わってはいけない人3選】について、現役プロ心理カウンセラーが語ります。

この手の記事は、大概、人のネガティブな面を取り扱ったり、キャッチーな記事にすることで、アクセス数を稼ごうとするところがあります。

「超危険」とあるんですが、別に超危険というのではなく、関わると損害がある、面倒なことになる気質として、3つあげているんですね。

それは、

  • テイカー(相手から時間、労力、金銭などを奪う)
  • 怒りん坊
  • 人を不幸にする嘘をつく

この3つ。
で、これはごもっともなんですね。
この3つを有する人は注意が必要なんですね。

で、この3つは、奇しくも仏教の戒律の基本である「五戒」にバッチリ含まれていることだったりします。

仏教の五戒が戒める盗み・傷害・嘘

どういうことかといえば、そもそも仏教の五戒では、

  • 盗む・・・テイカー(奪う)
  • 傷つける(殺生)・・・怒りん坊(怒りは人を傷つけることが多い)
  • 嘘をつく・・・人を不幸にする嘘をつく

といって戒めているんですね。
で、このコラムで挙げている「関わってはいけない人3選」と、五戒はドンピシャなんですね。仏教の五戒のうち3つ含まれています。

ちなみに仏教の五戒では、

  • 殺さない(傷つけない)
  • 盗まない
  • 嘘をつかない
  • 不倫をしない(他人の恋人・配偶者を奪わないという意味で、本質は「盗まない」と同じ。)
  • 酒を飲まない(お酒が悪いわけではなく、意識をもうろうとさせるのがよくないというのが真意)

という言い方をして、5つの基本的倫理を提唱しています。この5つの戒律は、人間が平和に安穏に生活できる最低限の規範としているんですね。

で、この5つは、本当にその通りだったりします。で、五戒のうち、

  • 殺さない(傷つけない)
  • 盗まない
  • 嘘をつかない

この3つが大事になるんですねで、上記のコラムにある「超危険な人の傾向」こそが、この3つを守らない人だったりします。

テイカー・怒りん坊・不幸にする嘘は人と社会を悪くする

上記のコラムで、

・テイカー
・怒りん坊
・人を不幸にする嘘をつく

は超危険としています。
ま、超危険というのは、冒頭でも書い通りで、アクセス数を稼ぎたいので、オーバーに表記しているだけだと思いますが^^;

しかしながら、五戒に抵触する言動は、不幸をもたらします。

このことを、コラムでは具体的に書いていますね。で、具体的に説明されると、五戒に違えることが、いかに人を不幸にするのか、社会に不利益をもたらすのかがわかります。

コラムから引用します。

テイカー

テイカーは、時間、物、お金を奪う。
世の中には、自分がテイカーだということに気付いてない方がたくさんいらっしゃいます。たとえばお喋りな人がそうです。

 

お喋りな人は、自分で自分のことを社交的な人であると考えがちですが、そうとは限りません。自分のことばかり話し、人の話を全然聴こうとしない人は、立派なテイカーです。

困ったときに相談するのは悪いことではありませんし、時に長時間になることもあると思います。友人や親しい関係の場合は謝礼も不要なことが多いですね。

けれども、いつもいつも一方的に自分のことだけを話しをして、相手の話しを聞こうとしない場合が、「テイカー」ということですね。

この手の文章は、この辺りのニュアンスをきちんとつかみ取ることも大切ですね。

怒りん坊の人

怒りん坊の人は、人が何か小さな失敗をしただけで、烈火のごとく怒り、延々とその人を責めます

 

厳しい罰を与えます。くどくど怒ります。人格まで攻撃してきます。

人間ですので、怒ることはあります。また時に激怒したり、激昂することもありますね。

しかし、同じ怒りでも、些細なミスなのに、猛然と怒り、しかも執拗に相手を責める場合ですね。

同じ怒りでも、しつこい怒り、相手をとことん罵倒してしまう怒り。慈しみの心がほとんど無い有り様のことを言っています。

人を不幸にする嘘をつく人

人を傷つけない、誰にも迷惑をかけない嘘ならいいのですが、世の中には、自分を守るために、相手を利用するために、嘘をつく輩がいます。

 

人を不幸にする嘘をつく人。こういう人とは極力関わらないようにしましょう。

人は、かならずしも真実を言うとは限りません。多少話しを盛ったり、「あれ、ちょっと違ったかな?」といった程度はあります。

ここで問題にしている嘘は、自己保身のために、明らかに事実と異なる話しをして、相手を利用する操作しようとする嘘のことですね。

で、その度合いが酷いケースを言っています。

仏教の五戒を実生活に即して表現することは大切

仏教の五戒は、教条的にまとめてあるため、どこか教科書的で無味乾燥なのすが、このコラムは実際的ですね。実生活に即しています。

ただ、読み取りには注意する必要もあります。というのも、完全な人はいませんし、人は誰しもでこぼこした性格や気質をしているからです。

テイカー、怒りん坊、人を不幸にする嘘をつくは、程度の違いはあれ、誰でも犯すことがあります。

後述もしますが、要は「程度の問題」なんですね。また合う合わないといった相性も関係してきます。

しかし、こうした部分を差し引いても、上記のコラムの指摘は、わかりやすく実際的です。

で、このように具体的かつ、実生活に即した表現を取ることはとても大切なんですね。

ですので、このコラムを取り上げてみました。冒頭で、キャッチーであることを指摘しましたが^^;、それを差し引いても良い内容の記事ですね。

で、仏教の五戒も、

  • テイカー・・・相手に時間、労力、お金、物を使わせて、無償のサービス提供を習慣にしている人(謝礼はしない)
  • 怒りん坊・・・怒りの緊張パワーで相手を麻痺させて相手を傷つける言動を取る
  • 人を不幸にする嘘をつく・・・相手を騙して、自分に都合のよい話しを吹き込む

このように実生活に即して表現するとわかりやすいですね。ピンと来ます。で、いかに五戒を破ることがヤバいことかもわかりやすくなりますね。

宗教的な権威で、「ほら守れ!」みたいなゴリオシ感がありません。現代的といいますか、生活に即した解釈は、むしろ、すんなりと入ってきますし好印象ですね。

テイカー・怒りん坊・人を不幸にする嘘をつく人は実在する

ちなみに、つい最近、私も、長年、相談を受けていた方が、実は、

・テイカー
・怒りん坊
・人を不幸にする嘘をつく

という三拍子がそろっていた人だったことがわかり、非常に残念な気持ちになると同時に、裏切られた気持ちや騙された感じになり、いろいろと深く考えさせられることにもなったものでした。

その方はIさんとします。
Iさんは、結婚していますが、配偶者からDVを受けているとして、ずっと相談も受けていたわけですね。

話しがおもしろく、少し話しをしただけでは、特別問題があるとは思えず、ちょっと調子がよく、おっちょこちょいな陽気なキャラといった感じの人なんですね。印象は悪くありません。

しかしながら、片付けが出来ない、時間を守れない、ミスが多いなど、いわゆるADHDという発達障害の傾向がある人だったわけですね。

話しを聞いていてお気の毒だなあと思い、長年(5年ほど)、いろいろと話しを聞いたり、相談にも乗っていたものでした。

別に謝礼も求めず、困ったときに電話などがあって話しを聞いていたものです。

ちなみに、Iさんの旦那さんとも面識があり、旦那さんとも何度か会って食事をしたり話しをしたこともあったものでした。

なのでご夫婦のことは、以前から知っていて、お二人ともよく知っている人だったわけですね。

もっとも旦那さんは口数が少なく、趣味のことを話しをすることがあっても、あまり自分のことを話す人ではなかったわけです。

そんな中、Iさんご夫婦が実は揉めているということを、Iさんから聞くようになったということです。

で、旦那から無理難題を言われ、DVも受けていると。

最初は「まさか!?」と思ったのですが、Iさんと親しいMさんという人の証言もあって、「なるほどー、そうだったのかー」と思うようになっていったわけです。

違和感を憶える

ところが、しばらくすると、Iさんの話しや態度に違和感を憶えるようになったわけですね。

何故、違和感を憶えるようになったかといえば、たとえば仕事中にもかかわらず「困った、大変、話しを聞いて!」と電話がかかってきて、話しを始めると1時間くらいになることもザラだったわけです。

ひどいときは、電話に出るまで何度も電話してきて、着信履歴を見ると、10回くらいコールしていたこともありましてね。

別段、一時間くらい話しを聞いたり、相談にのることはやぶさかではなく、困っている方の支えになるなら、いいと思うんですね。

ところがIさんの場合は、ゴリオシ感が強く、話しも一方的。私の話しはほとんど聞かず、会話のキャッチボールがスムースとは言えないわけです。

つまり「度が過ぎている」んですね。異常さを感じさせます。

後になってからわかったことは、Iさんは困った状況になると、話しを聞いてもらえる人にやたらと電話をして、長々を愚痴を聞いてもらうということをしていたようなんです。

実はテイカーだった

Iさんは、典型的なテイカーだったわけです。自分の都合「だけ」で、相手の時間、労力などを奪い取ることをしていた。

中でもIさんの問題は、人の話しを聞かない点です。当初は、「それくらい追い込まれて大変なんだなあ」と思ったのですが、何度も繰り返されると、さすがに「おかしいぞ?」と思うようになるわけですね。

実際、アドバイスも馬耳東風。「何言ってんの?そんなことより私の話を聞いて」といった空気が漂うわけです。

これはメールも同じで、メールでは、一方的に自分の話しだけを延々と書いたブログ並みの超長文メールを「数本」送ってくるわけですね。数回に分けて送ってくるわけです。もう読み切れないんですね。

私も長文傾向はありますが、Iさんは度が過ぎているんですね。

しかも私のメールには、まともに応じないわけです。酷いときはスルーをして、後日、「メーラーの調子が悪かったので返信できなかった」と、取って付けた言い訳を返してきたこともあったわけですね。

自分を変えようとしない

で、Iさんには際だった特徴があって、自分を変えよとしないんですね。だから瞑想やマインドフルネスといった実践も実行もしません。いや行う気持ちがまったく無かったんですね。

で、愚痴や不満を言うことがあっても、自分の行動を改めようとするのではなく、周囲が自分にとって都合よく変わればいいという考えの持ち主であることがわかってきたわけです。

ほかにもTさんには奇妙な点があり、話しをしていても、表面的なことになりがちだったり、白か黒かといった二元論的な考えが目立つことや、物事を深く考えることができないのか苦手な感じな様子なわけなんですね。

以上のようなことが重なり続けたため、さすがに「この人はおかしい」と感じるようになって、私も警戒するようになり、距離も置き始めたわけです。

で、Iさんから電話やメールが来ると、「それはIさんにも問題があるんじゃないの?」「一方的に旦那が悪いわけでなく、Iさんにも原因があるでしょ」と、本人にも言うようになっていたわけですね。

が、忠告をすると、黙ってしまい、電話の向こうで怒りでメラメラしているのがわかるわけです。

「なんだ、この人は?」

実態がわかった日

そんなIさんに違和感と疑問を持っていた中、昨年、離婚の話しが出たわけですね。

で、さすがに離婚の危機を迎えたということで、旦那さんからも初めて相談したいと申し出があったわけです。

で、旦那さんからも、初めてお二人のことをくわしいことを聞くようになったわけです。

で、旦那さんの話しを聞いたり、写真を見せてもらうと、実は、Iさんがかなりの嘘をついていたことがわかったわけです。

なんと、むしろ被害者は旦那さんであることが明らかになってきたという次第

Iさんこそが家の中ではブチ切れて、夫をののしったり、勝手きままなことをしていたという実態がわかってきたわけです。

で、Iさんの証言を補完していたMさんは、実はIさんから話しを吹き込まれていたこともわかってきた次第。

Iさんは、「自分は夫からDVを受けている可哀想な被害者である」といいったことを、何人かの人に言って、旦那さんが「悪い」という状況を着々と作り上げていたわけです。

で、私もそれに巻き込まれようとしていたわけなんですね。

が、話しを突き合わせて検証すると、実態はほとんど真逆。

そう、Iさんの言動は、まさに

・テイカー
・怒りん坊
・人を不幸にする嘘をつく

そのものだったわけです。
で、巧妙な嘘を付いて(無意識のうちについて)、理解者を周囲に作り、旦那を悪者に仕立てる構図を作り上げようとしていたわけです。

おそろしや。

嘘と思えない巧妙な嘘

Iさんの「嘘」は巧妙なわけですね。というのも、一応、事実には沿っているからなんです。

しかし「事実」といっても、Iさんに都合よく事実を切り取って、Iさんにとって「都合のよい話し」を構成していたという、最近の週刊文春のようなストーリーを作っていたわけです。

巧妙なんですね。あった事実は、その通りなんですが、どうしてそうなったかの本当の理由を言わなかったり隠して、「Iさんが被害者」「Iさんが正しい」「旦那が悪い」といったストーリーに仕立てていたわけです。

で、怖いのが、無自覚のうちに、こういうことをしていたという点なわけです。

Iさんは、発達障害でもあるわけです。事実、片付けが出来ない、時間を守れないなどなど。

で、時間を守れないことは、私も何度も、そういう目にあったことがあります。旦那さんも散々な目にあっているようなんですが、Iさん本人は、いつも言い訳をして、自分の非を認めようとしないとか。

「自分が悪い」といった状況になると、聞く耳を持たなくなったり、大声を張り上げて自分を守ろうとしたり、必要以上に自己保身に走る傾向があるわけですね。

そんなIさん、見た目はふつうなんですね。ちょっと落ち着きが無いところがありますが、それもキャラとして容認できるレベル。なのでパっと見た目には、別段おかしな点も見当たらないわけです。

五戒を破ると不幸をもたらす

と、話しが長くなり、なんだか私の愚痴みたくなってしまいましたが、さすがに一連のことは深く考えたものです。正直なことを言えば、裏切られた感があったものでした。

5年にわたって話しを聞いたり、相談に乗っていたものの(途中で「おかしい」と違和感や疑問を感じましたが)、私も騙され、裏切られた感があり、人間不信になりそうだったものです。

表面的には陽気で少し調子がよく、話しのノリも面白く、一見すると特に問題がなさそうな人でありながら、実は、

・テイカー
・怒りん坊
・人を不幸にする嘘をつく

という人だったこと。で、この3つを備えている人は、冒頭で紹介したコラムの通り、ヤバイということなんですね。

この3つがそろうと、健全な人間関係を作るのはほぼ不可能になります。

やはり、同じ嘘でも、相手をおとしめて、自分の味方を作ろうとする嘘はよくない。

嘘が発覚した時点で、完全に信用を失います。失うだけでなく、嘘によって、無実の人を悪者にしてしまう。

まさに最近の週刊文春が、これだと思いますが、「人を不幸にする嘘」は本当によくありません。

さらに、無償で相談に乗っているのに、これを当たり前として、困ったときはガンガンに電話をして、一方的に時間を奪う。ザッツ・テイカー。

他人の善意をむさぼる・利用する人はよろしくない

Iさんのことで、大変な教訓を得たといいますか、学びになったものです。

五戒を破る人はヤバイ

見た目の感じとか、教養があるとか、そういうことよりも、五戒を平気で破ってしまう人はヤバいということ(日本ではお酒は別にいいと思いますけどね)。これがもう、赤裸々な事実として突きつけられたわけです。

で、そんなIさんは、決して反社であったり、奇人変人ではありません。少し話しをしただけでは、陽気で社交的、明るいキャラで、特別問題があるとは思えないないんですね。

ところが、込み入った話になったり、深い領域になると、病的なものがあらわになってくる感じだったわけです。で、ついには「この人ヤバイ」となったということです。

で、世の中には、ふつーの顔をして、他人の善意をむさぼる人がいる。利用する人がいる。お人好しな人を、自分の都合に利用する人がいるってことなんです。

こうした人は、決して反社会的でもなく、ごくふつーの顔をしている。しかし、よくよく見ると、疑問な点がいくつもあるわけですね。

今回のことを教訓にして、人の善意をむさぼる人、利用する人には注意する必要があるなあと思ったものでした。

「おかしい」「変だ」と、感覚的に察知したときは、警戒フラグを立てて、スルーしないようにしていこうと思います。

度が過ぎている場合に注意を払う

ちなみに、そうはいっても、もちろん人間ですので、多少、こうした傾向があっても、実際はそれほど問題にならない場合も多いものです。

要は、度が過ぎている場合なんですね。

テイカー、怒りん坊、人を不幸にする嘘をつくといった度合いが強い人は、偏りやクセも強く、自己主張も強い傾向があります。

「一般的な感じよりも変だな?」「おかしいぞ」と感じる場合は、注意が必要ということですね。

世の中には完全な人はいませんので、粗探しをすれば、誰でも「変なところ」はあります。ですので、程度の問題なんですね。

で、その程度の問題といいますか、許容レベルが、今回の体験でよくわかったということだったりします。

自己観察の大切さ

それと、「自分の心に気づく」「内省する」「自己を見つめる」という姿勢は必須であり、欠かせないということですね。

何も瞑想に限ったことではなく、「自己観察」は、五戒を破るはちゃめちゃな言動を慎む始まりにもなります。つまり、しあわせになる第一歩ですね。

それが自己観察。気づきの瞑想。プレゼンス系の瞑想ということなんですね。これが非常に大切。

誰しも完全ではありません。だからこそ、自分の心に気づくことが大切だったりします。

自分の心に気づくこと、、また、こうした姿勢が大事だなあと思うことから、瞑想も、自己陶冶も始まります。

自己観察・内観・内省している方は大丈夫

ちなみに補足になりますが、この記事を読んでいる方の中には、瞑想会に参加されている方もいらっしゃいます。

で、瞑想を実践している方は、内省的なところがありますので、この記事を読んで「もしかして私もそうかも」なんて思わないでくださいね^^

そのように内省的、自己観察ができる方は大丈夫なんです。また仮に瞑想や観察がうまくできなくても、意欲のある方なら大丈夫です。

Iさんのように、瞑想もしない(したくない、意欲が無い)、自己観察もできない(したくない、意欲がない)という人こそ問題なんですね。

しかもIさんは、「度が過ぎて」いたわけです。自己を省みることができないため、自制もきかず、本能のままでに動いていたようなもんなんです。

で、Iさん自身は自覚することなく、テイカー、怒りん坊、人を不幸にする嘘をつくということし続けていたわけですね。

さらにいえばIさんは、この他にも悩ましげな課題がいくつもあったわけです。

自己観察、自らの心に気づくことを、日々行っている方は大丈夫です。

こうした記事は、デリケートな心の領域を扱っていますので、実のところ、誰でも大なり小なり心当たりあることがあったりします。

しかし、そう感じる方は基本的に大丈夫ですね。また自己観察、自分の心を感じて日々生活している人は大丈夫です。

仏教の五戒は幸不幸のキモ

ということでして、後半は私の体験話となりましたが、コラムにある

・テイカー
・怒りん坊
・人を不幸にする嘘をつく

は、マジもんで人を不幸にする、健全な人間関係を構築することは困難であり、関わった人達は傷つくということですね。これは自分の体験を通して断言することができます。

で、これを見通していた仏教の五戒はすごいなあと思います。2500年前から伝承されている五戒は、伊達ではありません。

人間の幸不幸の最もキモとなる部分を抽出しています。さすが仏教。人類の叡智ですね。

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経営科学出版の550円翻訳本は読みにくいhttps://yurubossa.com/keihatsu/yominikuihon/https://yurubossa.com/keihatsu/yominikuihon/#respondTue, 07 Feb 2023 21:33:45 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=14246

目次 非表示 経営科学出版の550円翻訳本は読みにくい 今の時代はサクサク読める本が望ましい 読むのを断念する本とは? 経営科学出版の翻訳本は5冊、読書を断念した 経営科学出版の翻訳本が読みにくい理由 翻訳は株式会社トラ ... ]]>

経営科学出版の550円翻訳本は読みにくい

経営科学出版(ダイレクト出版)では550円で本をセールスするときがありますね。

で、私も何冊も購入しています。

GHQにより焚書された本と、翻訳本が550円セールスになることが多いですね。

が、翻訳本は、どうも読みにくいんですね。

論文っぽい翻訳なんです。

そもそも一文が長いのが結構あります。
しかも文字も小さい。

こういう本は、商業ベースの本作成では、校正の段階でダメだしされるとは思うんですね。が、そういうのが販売されています。

もしかすると学術論文のような扱いで出版しているのかもしれません。

しかし、読みにくい。

気合いを入れて、ジックリと読む必要も出てきます。

今の時代はサクサク読める本が望ましい

しかし、いろんな本を読んだり、YouTubeを見たり、音声コンテンツを聴いたり、で、仕事をしたりで、一日の時間は限られています。

昔と違って情報収集の媒体は、本だけではありません。ものすごく多くなっています。

なので本はサクサクと読めるくらいが丁度いいんですよね。

今の時代はサクサク読めるのが望ましい。

昔とは違います。

今は時間が限られています。

なのでサクサクと読める本がいいですね。

少なくとも、私の場合はそうです。

読むのを断念する本とは?

もっとも時間に余裕があるときや、「これはどうしても必要な知識だ」と思うときは、難解な本であっても腰を据えて読みます。

しかし教養のために読む場合、読みにくい本は読書を断念してしまいます。

で、読書を断念してしまう本は、

  • 文字が小さい
  • 行間が狭い
  • センテンスが長すぎる
  • 説明がまわりくどい
  • 文章が破綻している
  • なんか読みにくい

こういった本ですね。

で、こういった本は、読み始めても読書を止めてしまいます。時間のムダになることも多いからです。

残念なことに、経営科学出版の翻訳本は、ほぼこれらに該当しているんですね。

経営科学出版の翻訳本は5冊、読書を断念した

経営科学出版翻訳本は、「本当はこれ読みたいけれども、完読するのに時間がかかりそうだなあ」というのが多いですね。

もしかすると全部そうかもしれません。

そもそも経営科学出版の翻訳本は、最初に書いた通りで、学術論文っぽい調子で書いてあります。一文が長い。そんなのが結構あります。

しかも分厚い。300ページを超えるものも少なくありません。

このような本の場合、読書に時間がかかってしまいます。で、読みたくても読むのを断念してしまいます。

残念なんですね。

もっとスラスラと読むことができればいいんですけどね。

で、経営科学出版の翻訳本は、かれこれ5冊ほどお蔵入りになりました。

  • ステルス戦争
  • 進化する覇権戦争(上)
  • 進化する覇権戦争(下)
  • 暴走するマネー資本主義
  • 買われる民主主義(上)

今のところ、この5冊ですね^^;

この前、「新型コロナ ウィルス感染症の真実」というのも購入しました。が、これまた300ページを超える翻訳本なんですね。

まだ中身を見ていませんが、またもや読みにくくて断念するんじゃないかと。読む前から思ってしまいます。

経営科学出版の翻訳本が読みにくい理由

で、経営科学出版(ダイレクト出版)の翻訳本は、なんでこんなに学術論文っぽい翻訳をするのかなあと思うわけなんですね。

で、もしかすると、翻訳しているのは大学院生じゃないかなあと思ったり。

というのも経営科学出版(ダイレクト出版)には京都大学の大学院生がバイトで働いているようなんですね。で、彼らに翻訳させているんじゃないかなあと^^;

バイトが翻訳するなら人件費は割安になります。それ故に、550円で販売できているんじゃないかと。

そんな憶測をしてみたり(笑)

翻訳は株式会社トランネットだった

ところが経営科学出版の翻訳本の奥付を見ると、翻訳は「株式会社トランネット」とあります。なんと!

で、ネット検索するとHPも出てきます。

株式会社トランネット
https://www.trannet.co.jp/

「トランネット」。

はて、どういう企業なのかと思ってみると、HPにありますね。

「多くの出版社のご協力のもと、翻訳家および翻訳家志望の方々に、出版翻訳のチャンスを提供するための翻訳者選定オーディションを開催しております」と。

なるほど。

翻訳家志望の方を集めて、翻訳しているっぽいですね。

ふむふむ。

ですが、これって、翻訳したい人に、翻訳のチャンスを与える代わりに、安価な報酬で請け負けおわせるビジネスモデルじゃないんですかね?^^;

翻訳家の卵ですので、報酬はそれほど高くないんじゃないかと。

で、経営科学出版の翻訳本が、格安の550円というのは、こういうカラクリがあるのではないかと。

もっともGHQ焚書の復刻書とか、三橋貴明さん、堤美果さんの新刊が、550円で販売されるときもあります。なので翻訳代が安いから云々は関係なさそうです。

しかし問題なのは、「経営科学出版の翻訳本は読みにくい」ということです。

で、プロではない翻訳家が翻訳する本ってどうなのかなあと、思えてきます。

好みもあるとは思いますが、経営科学出版の翻訳本に関しては疑問があります。

そもそも論文のような翻訳書は腰を据えて読む必要があります。

で、私のように時間に限りのある者にとっては、もっとサクサクと読める本のほうがいいんですね。

それと翻訳は、やはりプロが訳したほうが日本語もこなれていて読みやすいんじゃないかと思います。

今後は550円本は購入しない?

ということでして、経営科学出版の550円翻訳本は、プロの翻訳家ではなく、翻訳の仕事をした人達を集めて行っている「株式会社トランネット」によるもののようですね。

で、必ずしも読みやすい日本語の文章でなく、学術論文的に文章が構築されているのが多いかなあ、と。

時間に余裕が無いと、読むのがツラくなります。せっかく購入しても読まないままになってしまいます。

なので今後は、経営科学出版の翻訳本は購入を控えようかと思います。

最近もおもしろそうな本が出ていましたが、購入しませんでした。

またもや読書を断念することになりそうですからね。

実際、5冊もお蔵入りとなっています。合計2,750円の損失です。今後もお蔵入りする可能性は高いですでの、もう購入しないと思います。

経営科学出版(ダイレクト出版)は広告が巧み

しかし経営科学出版のセールスレターは、ダンケネディのダイレクト・レスポンスド・マーケティングやプロダクトローチンに基づいて作られているので、購買したい気持ちにさせるのがうまいんですよね^^

広告という観点からすると、経営科学出版(ダイレクト出版)の広告はDRMのお手本のような作品です。広告は秀逸。素晴らしい。

なので油断すると、ついポっちしまうんですよね^^;

が、その手には乗らないぞと気合いを入れて注意してまいろうかと思います(笑)

残念なんですけどね。

できれば読みやすい、サクサク読める文章になるように改善してくださるといいんですけどね。

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田坂広志「運気を磨く~心を浄化する三つの技法」のレビューhttps://yurubossa.com/keihatsu/tasakakouji/https://yurubossa.com/keihatsu/tasakakouji/#respondWed, 11 May 2022 09:29:07 +0000https://yurubossa.com/keihatsu/?p=10548

目次 非表示 田坂広志「運気を磨く~心を浄化する三つの技法」のレビュー 運気・クリシュナムルティ・悟りに言及 「ゼロ・ポイント・フィールド」とは名色分離智 著者は一瞥体験をしている? 宗教の言葉を使わないで宗教を説く 田 ... ]]>

田坂広志「運気を磨く~心を浄化する三つの技法」のレビュー

田坂広志氏の「運気を磨く~心を浄化する三つの技法」を以前読みましてね。で、そのレビューを、これまた1年くらい前に書きましたが、せっかくなので、ブログに投稿しようと思います。

この書は著者の瞑想(禅)体験を元にし、悟りを根底に宿した新しい啓蒙書です。

ありがちな「教え」ではなく、「教え」を超越し「無意識」に働きかけていく瞑想的なアプローチに基づく啓発書。

見方を変えればビジネス系スピ書にもなりますね。
 
ちなみに著者が禅を行っていることは本書に書いてありません。が、内容や語り口から、長年、禅を行っていると思います。

運気・クリシュナムルティ・悟りに言及

本書は切り口が、科学的な表現や成功を刺激する「運気」という話しから始まっていますが、最後はクリシュナムルティで締めくくるという、どんでん返しといいますか、悟り系が着地点という「ひねり」が効いています。

ドラマティックな構成も上手いですね。

もっともこの書は悟り系というのが途中でわかるんですけどね

「ゼロ・ポイント・フィールド」とは名色分離智

で、著者は「ゼロ・ポイント・フィールド」を提唱しています。

「ゼロ・ポイント・フィールド」とは、ポジティブとネガティブを超越した「究極のポジティブ(二項対立を超えた状態)」といい、本書はここに達するためのアプローチを紹介しています。

この書は平易な言葉で書いてありますが、瞑想などの概念で言いますと、禅定・瞑想によるサンカーラ(カルマ)浄化、認知行動療法、あるがまま(如実知見)の3つを軸にして、真我(ゼロ・ポイント・フィールド)に至らせるという手法です。

で、サブタイにもなっている「心を浄化する三つの技法」とは、まさにこの手法によって得られる産物です。

ちなみに、「ゼロ・ポイント・フィールド」とは、瞑想における「名色分離智」のことでもありますね。著者は、禅定とか、そういう高い境地を想定していますが、実際は、名色分離智です。

名色分離智に達すれば、「ゼロ・ポイント・フィールド」の感覚が生じます。で、自己浄化も急速に始まります。

著者は一瞥体験をしている?

この書は、文体が硬派ですので、女性向けではなく、ビジネス系&男性向けになりそうなのが残念なのですが、著者の体験に基づく見解や洞察に貫かれています。
 
おそらく著者は禅を長年行っていて、しかも禅定体験か一瞥体験をしたことから真我を感得し、その体感から「ゼロ・ポイント・フィールド」を提唱している可能性もあります。

また自らの体験体感から「運が良くなる」とか「無意識(心)を浄化する」といったことを述べているんじゃないかと思います。

もっとも、「想像」で書いている可能性もあります。

ある程度、頭のよい人になりますと、想像して書くこともできますからね。

実際にお会いしてお話しをしませんと、この辺りのところはわかりにくいですね。文字ならば、それっぽく書けてしまうこともあります。

宗教の言葉を使わないで宗教を説く

この書は瞑想や宗教的な言葉を使わず「運を良くする」などの興味関心を惹く切り口から誘導し説明しています。上手いですね。してやられたりという感じもします。
 
それと著者の田坂広志氏は「田坂塾」を主催し「21世紀の知性」を持ったリーダーを輩出することを主眼とされているようです。

で、「21世紀の知性」とは悟りによる知性、あるいは悟りの文脈で得られる智慧のことでしょうかね?どうなんでしょう?
 
それにしてもあえて?瞑想や宗教的な言葉を使わないところに、社会へ適用しようとする著者の工夫と深い慮りを感じさせます。

またこうした深い叡智を目指すことが台頭してきていることに感銘を受けます。インスパイアもされますね。
 
久しぶりに読んだビジネス系の自己啓発書ですが、まずます良書かもしれません。

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