「ダブルスタンダード」というのはレッテル貼りの一つです。相手を打ち負かすときに使う論法の一つです。
そもそも「ダブルスタンダード」とは、状況よって価値判断を使い分けることをいいますね。
何年か前あたりから「それ、ダブルスタンダード」といった言い回しを聞くようになった感があります。
しかし、「ダブルスタンダード」が使われる状況は、相手の言論を封殺するときが目立ちますかね。
倫理的な意味合いではなく、相手の意見を封じるのが狙い。こういう状況で使われていることが多いような感じがします。
そもそも、相手に「ダブルスタンダード」と意識させることに成功しますと、自己矛盾を自覚させることができます。
で、この自覚を生まれますと、言葉に詰まります。で、議論に負ける。
「ダブルスタンダード」というのは、言動を封じ込めるのが狙いかのようです。
言論封殺を目的として「ダブルスタンダード」を使うのは、レッテル貼りテクニックと同じですね。
無意識で行っている言動に対して、観念や概念を使って分析できると、表面意識に浮上し、客観的に見つめやすくなります。「自覚する」ということですね。
観念や概念は、記号のようなものなのです。しかしながら、この記号を使うことで、言動を分類することができます。
そうして、この観念や概念で分析分類したことに、新たに名称を与えると、言動内に境界線を引くことができるようになります。
ごちゃごちゃと書いていますが、要するに、これが「行動分析」「自己分析」というものですね。
自己を見つめる場合、こうした分析分類作業は有効です。しかしながら、こうした分析分類を、論争のテクニックにも使用することができるということですね。
その一つが「ダブルスタンダード」と指摘して、言論を封殺するテクニックです。本質は「レッテル貼り」です。
そもそもレッテル貼りは、相手の言動に対して、概念化キーワードを当てはめて単純なモデルに仕立てて、グレーゾーンを払拭し、あたかもそれ一色であるかのように錯覚させて、言動を封じ込めるやり方です。
ですが、そもそも人間誰しもダブルスタンダードですね。ダブルスタンダードでない人はまずいません。状況状況によって使い分けています。
「ダブルスタンダード」という言い方は、「状況によって判断は変わる」というこに対する言いがかりです。
そもそもダブルスタンダードと揶揄する暗黙の前提に、「普遍的で固定的な見方が正しい」とした認識があります。
しかし、そんなのは非現実的です。「固定的な見方」をするのは「頭が固い」といいます。融通が利かないともいいますね。現実的にいえば、状況状況に踏まえた判断や発言が適切です。これをTPOといいますしね。
しかし、ダブルスタンダードと揶揄する場合、こうしたTPOを無視し、「固定的で普遍的な視点が正しい」ということを前提にしています。
ですので、どこか「論争テクニック」のような印象を受けるのでしょう。所詮、屁理屈なのでしょう。
もっとも、「ダブルスタンダード」が行き過ぎますと、「二枚舌」とか「調子いい」となります。倫理的な意味合いで「ダブルスタンダード」と使うならまだいいのかもしれませんね。
しかし、「ダブルスタンダード」という言葉は曖昧です。曖昧な「ダブルスタンダード」など使わずに、「二枚舌」とか、「裏表がある」、「調子いいヤツ」と使えばいいと思いますね。
とまあ、そんな「ダブルスタンダード」という言葉へのあれこです。
しかし最近、ビジネス用語にも、わけわからんものが多くなっていますね。「アジェンダ」とか、「コミットメント」とか、「スキーム」とか。
うるせー、と思いますね^^;
ふつーに、「課題」とか、「約束」とか、「枠組み」って日本語でいえばいいじゃん、なって思ったりもします。
ヨコ文字言葉は、抽象的だったり曖昧だったりして、詭弁にも使われやすいかな、なんて思ったりもします。
「ダブルスタンダード」もそうなんじゃないのかな。