瞑想ができないのは「乖離(かいり)」しているから
瞑想ができない理由はいくつかありますが、意外と盲点になっているのは「乖離(かいり)」です。
実は、これ、最近、ようやく言語化できるようになったことです。それまでは漠然と感じていたことです。
しかし、いろいろなケースを見てきて、「乖離(かいり)」していると、
- 瞑想ができない
- 「いまここ」ができない、わからない
- リラックスができない、わからない
- 自然体の意味がわからない
- いつも緊張している
といったことになることがわかってきました。
で、今回、初めての公開になりますが、「乖離(かいり)」について書いてみます。
「乖離(かいり)」とは?
「乖離(かいり)」。
乖離とは、心(意識)が自分自身から外れて、別の何かに飛んでいる状態です。
「とらわれている状態」とも言えます。「憑依している」状態とも言えます。
心(意識)が「飛んだり」、「とらわれたり」、「憑依する」対象は、いくつかあります。
思想・教義・観念・思いなどの「想念」に憑依する
代表的なのは、思想、教義、観念、思いといった「想念」。「想念」にとらわれていている状態がまず一つ。
物思いにふけりやすい。気づけば考え事をしている。答えの出ない考えの無限ループに入りやすい。
こういった人は、思考や観念が強いんですね。すぐに思想、教義、観念、思いに「憑依」してしまいます。とらわれる。思考のループに入ってしまう。
空想・ファンタジー・小説・文学・アニメ・スピなどの「想像」に憑依する
空想やファンタジー、小説、文学、アニメ、スピ好きな人もなりやすい傾向があります。これらの世界に入り込み、憑依してしまう。
空想に浸ること自体悪くないのですが、日常的にすぐに想像やファンタジーに、「無意識のうち」に入り込んで、自覚が無い場合です。これが「乖離」。
普段の視点を飛ばしている
また、視点が、頭の上、背中の後ろなどにあって、別のところから自分を観ているなどの奇妙な客観視をしていることもあります。
心の傷・抑圧などの「心そのもの」に憑依する
心に傷、抑圧がある人も「乖離」しています。常に「乖離(かいり)」しています。
いつも気分が晴れない。無意識の中にある心の傷やトラウマ、抑圧に気持ちが向いてしまって、乖離してしまっています。
いつも、ボーっとした感じになったり、上の空。どこか自分の感覚が無いといった状態です。
離人症は「乖離」が酷くなった状態です。人格分裂もそうです。
乖離とは「いまここ」から外れた状態
「乖離(かいり)」とは、「いまここ」から大きく外れている状態です。
なので、瞑想ができない、できにくい状態なわけなんです。
「乖離(かいり)」しないようにすることが、大事なわけです。
ところが、「乖離(かいり)」している自覚が得られにくい。
そのため、「乖離(かいり)」している人が、「自分は乖離している」という自覚が得られにくかったりします。
これが難点。
「乖離(かいり)」しやうい人の特徴【まとめ】
ここで整理してみましょう。乖離しやすい人は、次の特徴があります。
- 思想、宗教教義、観念、思いへの「とらわれ」「こだわり」がある
- 思考や観念が強い
- 常に思考がグルグルと頭の中をまわっている
- 物思いにふけりやすい
- 気づけば考え事をしている
- 答えの出ない考えの無限ループに入りやすい
- 空想、ファンタジー、小説、文学、アニメ、スピ好き
- 欲しいモノが一杯ある
- 好奇心が旺盛で気が散りやすい
- 視点が、頭の上、背中の後ろなどにある
- 別のところから自分を観ている感覚がある
- 心に傷、抑圧がある
- リラックスができない、リラックスがわからない
- 常に緊張している、体に力が入っている
- 物事が何故かうまくゆかないことが多い
- 人から煙たがられやすい
- 人から注意されたとき、その理由がわからないときがある(多い)
こうした傾向がある人は、「乖離(かいり)」しやすいでしょう。常に「乖離(かいり)」していることもあります。
「乖離」は乖離していることへの自覚が生じにくいのが厄介
しかし、こうしたことへ「とらわれている」自覚や、乖離していることへの自覚がないため、厄介だったりします。
「乖離(かいり)」していることに、本人自身が気づかない。気づけない。
5年も10年も乖離したままの人もいます。てか、物心ついたときから乖離しっぱなしの人もいます。
意識が自分から離れてしまっているわけなんですね。
心が常に自分から離れているため、瞑想もできなくなります。
「正知」「覚知」もできません。にっちもさっちもいかなくなるわけです。
・瞑想ができない、
・魂にある「あたたかさ」がわからない、
・リラックスができない
という人は、ほぼ100%「乖離(かいり)」しています。
「乖離(かいり)」は改める必要がある
以上のことに該当している人、心当たりのある人は、乖離している可能性があります。
「乖離」は、改善する必要があります。瞑想ができないだけでなく、不幸になりやすい状態なんですね。
なぜなら「自分から外れている」状態だからです。瞑想的にいえば「いまここ」から外れている状態。「いまここ」になれない状態。「自然体」がわからない状態。
常に緊張しています。必然的に、リラックスもできませんし、そもそも「リラックスって何?」ってなることもあります。
「乖離(かいり)」は、問題のある状態だったりします。
「乖離(かいり)」を改善するアドバイス~考え始めたら「乖離」のシグナル
で、「乖離(かいり)」を改善するためには、
- 「乖離(かいり)」していることに「気づく」
- 「乖離(かいり)」したときの自分に気づく。
- スポーツや体を動かすことをできるだけ行って、身体の感覚を味わう
- ヨーガを行って、身体の感覚を味わう
- 日常生活において、自分が行っている動作を感じる
これらの時に「乖離」してやってはダメです。つまり「考えてやってしまう」。「考えて」やってしまってはダメです。考えると乖離してしまいます。
たとえば「ポカン」とした状態で、感覚や動きを、そのまんま「味わう」「感じる」ようにするわけです。
が、「ポカンとしてください」と説明すると、「ポカンとする」ことも「考えてしまう」から厄介です。
とにもかくに「思考」を通してしまうクセが付いています。ここに「先ず気づくこと」です。
「乖離」している人は、自分が「乖離」していることへの自覚がないのが一番厄介です。
なので、「考え始めたら乖離している」と思ったほうがいいでしょう。
体の動き、身体の感覚も「考えて」気づくようにしたらアウト。
「考える」というのが始まったら、「乖離している」と自覚してください。
「乖離」から離れるためには、ます「乖離していること」に気づくことです。ここが、最大の関門。
思考・思いの強さが「乖離」を生み出す
現代は、子どもの頃から「考える」訓練を受けています。
思考は大切なのですが、天然自然な感性を上回るくらいに思考が強くなってしまっているとヤバい。乖離しはじめます。
常に「乖離」してしまっていている人もいます。乖離がデフォルトになっている人もいます。
なので、まさか自分が乖離しているとは、つゆにも思わない、思えない、自覚が及ばないということになりがちです。
魚が水の中にいることに気づけない状態に似ています。
「乖離」していることへの自覚が生じるかどうか。
昔から考えすぎたり、物思いにふけり「すぎては」ダメと言いますよね。え?言われなかった^^;
考えすぎ、悩みすぎよくないんですよ。何もいいことはない。
それは別の視点からいえば、「乖離(かいり)」してしまうからです。不幸な状態になるからです。
思想や思考に傾きすぎる人は、うつ病や神経症などの精神的な問題も招きやすくなります。
「乖離(かいり)」は要注意なんです。意外と盲点になっていますね。
最近、気づいて、ようやく言語化できるようになりました。きっと役に立つんじゃないかと思います。