想念。
思い。
一体、これはどこから生じてくるのか?
「私」って?
「思い」は私?
想念。
思い。
実は、これが生じる理由は「ありません」。
ただ、わき起こってきているだけです。
「原因」があって「結果」がある。
という法則があるので、原因があるから想念・思いがわきあがるんでしょ?と言われますが、確かに原因はありますが、原因は、その前の結果でもあります。
想念、思い、思考は連続しています。
連続している流れです。
で、想念、思い、思考は、ただわき起こっています。マクロの視点からみると、「ただわき起こっている」ように見えます。
厳密にいえば、サンカーラというエネルギー(意識)の中から、縁(よ)りて起きているといいますね。
しかし、縁(よ)りて起きているといっても、そこには、自分でコントロールして、自分の意図通りに思いは生じているとは限らないわけです。
自分が意図して、思いを作っているのは、限られた場合なわけですね。
ほとんどは「雑念」として、ただわき起こってきています。
で、その雑念が生じてくる潜在意識・深層意識(サンカーラ)が、穢れていると、ネガティブな雑念がわき上がる傾向になるわけです。
反対に、潜在意識・深層意識(サンカーラ)がポジティブだと、ポジティブだったり、楽しいことがわきあがりやすくなるわけです。
あるいは、潜在意識・深層意識(サンカーラ)がクリーンになってくると、あんまり雑念とかもわかなってきます。
なので、潜在意識・深層意識(サンカーラ)を浄化していくことも実際は必要になってくるわけですね。
潜在意識・深層意識(サンカーラ)から生じる思いは、ただ単に「縁(よ)りて起きて」います。
コントロールはできません。
で、これを「雑念」と言っているわけですね。
で、問題になってくるのは2つあるわけです。
1.潜在意識・深層意識(サンカーラ)が穢れ・よどみ・不浄であると、普段から気分が優れず、憂鬱、ネガティブ、マイナス思考になりやすい。
2.「縁(よ)りて起こる」想念・思い・思考を自分と思い込み、振り回される。
この2つ。
だから、
1.穢れ・よどみ・不浄を浄める「浄化のプロセス」
2.想念・思い・思考を自分と思い込むことから離れる「無我のプロセス」。
の両方のアプローチが必要になるわけです。
しかし、伝統的な修行方法においては、無我になる方法は数多く説かれていますが浄化が弱かったり、曖昧です。
が、こもやむを得ません。
1000年前から2500年前に作られた方法論です。
昔は、現代ほど複雑な心になることもなく、シンプルだったでしょう。
昔は、心の浄化を、それほど強調しなくてもよく、体育会系の縛り式(べからず戒行)でも充分効果があったのだと思います。
ところが現代は、そうでではありません。
複雑に絡み合い、エテールレベルやアストラルレベルまでよどみ、精神的におかしくなってしまっている人も出てきています。
現代においては、浄化のウェイトがものすごく高まっています。浄化無くしてはダメ。
ところが、その浄化の仕方が難しかったりします。効果の高い方法がわかりにくかったりします。
浄化の王道は、善行、積徳、心の高揚(天晴れ)、穢れを払うなどの長年にわたって実践する方法になります。
しかし、裏技的な方法もあります。
それが、天啓気療によるヒーリングや、神棚で神さまの浄化パワーと加護を願うとかの方法です。
OSHOのダイナミック・メディテーションもそうでしょう。
浄化の方法には、いくつもありますが、そうした浄化の方法が必要なわけですね。現代においては欠かせません。
といいますか、浄化だけに絞って行う必要もあるくらいです。
で、想念・思い・思考を自分と思い込むことから離れる「無我のプロセス」として、二つの方法が提唱されていますね。
それが
定・・・宇宙意識と完全に一体になる
念・・・五感を通して入ってくる情報と完全に一体になる。
どちらも一境性(ワンネス)です。
ワンネスには2種類あるってことです。
宇宙意識とワンネスになるのか、外界のものとワンネスになるのか。
この二つ。
ブッダは、この2つの両方を推奨された。
宇宙意識・真我と完全に一体になる、溶け込む道。
見る、聴く、味わう、感じるものすべてと一体化する道。
二つのワンネス。
実は、そういうことだったりします。