キリスト教の聖霊体験と意識の多層構造

意識には多層・構造があることがキリスト教の理解で大事

こちらからの続きになります⇒

キリスト教では、「意識の構造」の理解が欠かせなくなります。聖なる「愛」の心が目覚めても、俗物性そのものは残っている。まだ勢いを持っていることがある。

で、これを踏まえると、イエスや十二使徒の俗物性も受け入れることができるようになります。

で、意識には構造があること。仮に愛に目覚めても俗物性は残っているので、それが出てしまうことがある。しかしながらキリスト教は、聖霊、愛、祈りにフォーカスして理解していく必要があるってことですね。

この理解は非常に大切です。後のキリスト教の神学では、異常にイエスを神格化してしまったり、あるいは極端に蔑むなど、へんてこぶりやおかしさも出ていると思いますが、これらは後のキリスト教徒が意識の多層・構造を知らないところから生み出した歪んだ見解とも言えます。

十二使徒の全員は聖霊体験をしていた?

聖書を、エネルギーという観点から読み解くと、そこには非常に示唆に富んだ伝承があることがわかります。ただしノイズも多いと思います。

十二使徒の全員が聖霊体験をし、愛に目覚めている可能性もわかります(あくまで可能性です)。

で、キリスト教とは、イエスが色濃く体現していた「愛」に目覚め、それを伝える「体験主義の伝承」であることがわかってきます。

聖霊体験と新プラトン主義

で、キリスト教のことがわかると、その周辺のこともわかってきます。

ヨーロッパには新プラトン主義、ヘルメス主義、カバラといった、元祖ニューエイジやオカルト・秘教などのアンダーグラウンド文化があります。

で、これらがスピリチュアルに発展もしています。

キリスト教を理解することで、こうした周辺事情も深く理解できるようになります。

キリスト教は、信仰の色合いが強いため、ヘルメス主義や新プラトン主義では、聖霊体験を科学的・合理的な説明を試みようとしたのではないかと。また後のイルミナティも同様。

一方、アストラル次元での神秘体験を聖霊体験と誤認し、これが魔術やオカルトでびこることに。で、これらはブラックであるが故に、後に魔女狩りにまで発展していったのではないかと。

ザックリといえば、こういう歴史があるんじゃないかと推測。

キリスト教がわかれば西洋の本当の歴史がわかるといいます。確かにキリスト教がなんたるかがわかると、西洋の深層部分がわかるような気がします。

愛は西洋人の理想の精神

キリスト教は、イエスがいた時代の「ローマに支配されるユダヤ人向け」として登場しています。元々現在のイスラエルにおけるローカル宗教(民族宗教)。

しかし後に「西洋社会」に広まります。で、西洋人の宗教になります(世界宗教)。

民俗宗教から世界宗教へシフトしています。で、こういう広まりになるのは、案外、想定内だったのかもしれませんね。

で、おそらく西洋人にとって「聖霊体験」は、西洋人の精神性の極地であり理想だったのではないかと。つまり「愛」の顕現・体現こそ西洋人の理想

逆に言えば、西洋人は「愛」が著しく欠如した人が多いということ。実際、自己中過ぎて、視野狭窄になる人達が非常に多い。これは遺伝的なのかもしれません。事実、戦争ばかりしています。また使用人に対しては、同じ人間とみなしていないといいます。おかしすぎです。

それ故に、イエスは「愛」を伝えた。強調した。で、これが西洋社会に受け入れられるようになったんじゃないかと推察しています。

キリスト教を読み解くカギは「聖霊体験」

聖霊体験のことがわかると、キリスト教のことがわかるようになるという塩梅。

「聖霊体験」こそキリスト教を読み解くカギ。

歴史をひもとくと、水による洗礼から、聖霊による洗礼にターニングポイントしたのがイエスの功績。

洗礼とは「愛の目覚め」。で、聖霊による洗礼(愛への目覚め)こそが聖霊体験でもあって、初代教会と言われる原始キリスト教の要。

この辺りがキリスト教のキモであり、構造を理解する上で非常に大事なことがわかり、一気にキリスト教のことがわかってきたという塩梅。

何事もそうですが、その世界観の要諦を知ることで、全体像や構造がわかるようになると思っています。

キリスト教は体験を重視している。聖霊体験こそキリスト教のキモ。要諦ということなんですね。

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