いわゆる「陰謀論」
ネットでいろいろとサイトを見ていると、いわゆる「陰謀論」といわれる情報に目がとまります。
「陰謀論」はとかく悪く言われやすいものです。
嫌われます。
ですが、中には「真実」もあります。
証拠は明確でないところがあっても、核心を突いていて、状況的に「ありえる」という情報も多いものです。
ですので、参考になったり、役立つ情報があります。
しかし妄想がパンパンで、頭がクラクラする話しもあります。玉石混交な状態で、ごった煮になっています。
陰謀論が嫌われるのは妄想とネガティブさ
陰謀論は「明確な根拠が無い」とか言われることもあります。
で、嫌われます。
妄想に思われるからですね。
で、「陰謀論」がとやかく言われる理由は、その真偽といった信憑性よりも、もっと他にあると思っています。
それは、陰謀論にある「ネガティブさ」です。
実はこれが問題です。
陰謀論といわれる世界には、「悲観」「絶望」「否定」が多い傾向です。
「希望」「救済」「改善」といった明るい話しはほとんどありません。
一部の支配者や富裕層が世界を牛耳り、過去も現在も未来も真っ暗なディストピア。
まるで不安を煽ったり、不安心理になるのが目的かのよう。一種の自虐性を感じさせるものが少なくありません。
で、こういうネガティブな話しは嫌なものです。聞きたくありません。
しかも、この上に妄想が加わると、作り話のお化けや幽霊の話しと同じになってしまいます。
陰謀論に通じるノストラダムスの大予言
で、この手のものは、「ノストラダムスの大予言」と同じです。
本質は同じ。
不安に陥って楽しんだり、興奮しているかのようです。
「絶望するために、絶望的な話題を楽しんでいる」という自虐性がなきにしもあらずのような。
なんかあえて「怖がる」心理を楽しみたいような。
お化けを見たがったり、怪談を楽しむ心理と同じですね。
ネガティブなメンタリティはネガティブを好む
で、おどろおどろしい世界に耽溺するのは、メンタリティに「否定」「絶望」「不安」があるからですね。
自分自身の根っこの部分に、自虐性やネガティブさがあるから、希望の見えない不安な話しに惹かれる。
ネガティブなメンタリティが、陰謀論と共鳴しているように映ります。
ネガに加えて、根拠が乏しい情報が多くなると、「妄想」が強くなっていきます。
だからオカルト色が強く出るようになるんですね。
で、陰気な雰囲気と荒唐無稽さが強くなるので、敬遠もされるのでしょう。
隠謀論には希望が無いから嫌われる
「陰謀論」は嫌われ、見下されるのは、こうしたネガティブさや妄想性に満ちたマイナスのメンタリティが見抜かれているからです。
陰謀論には、肯定的かつ希望のある代案や解決案がない上に、根拠が乏しい情報にあふれています。
ここから妄想をふくらませ過ぎてしまってもいます。
で、これが気持ち悪いと感じる人が多いので、
毛嫌いをするのでしょう。
で、普通人が「その陰謀論はおかしい」とか言い出して拒絶とかすると、
「CIAによる妨害だ」とか、
「レプテリアンの攻撃だ」とか、
妄想をふくらませての疑心暗鬼になります。
で、ますますこの世界に入り込み、混乱と妄想の度合いを深めていくこともみられます。
で、周囲からはますます嫌忌されてしまうことに。
ネガティブ・妄想が嫌われるのは当然
このことは、何も陰謀論に限りません。
ネガティブさ妄想が多いものは敬遠されます。
人の悪口を聞かされるのも嫌なものです。
根拠の無い妄想を聞かされるのも嫌。
どちらも嫌なものです。
しかし、世の中には、こうしたものを好む人が一定数いて、そういう嗜好のある人達が、いわゆる「陰謀論」を好むのかもしれませんね。
明朗で根拠のある陰謀論が望ましい
陰謀論は、その取り組む姿勢を改める必要があります。陰謀論が嫌忌されるのは、ネガティブさ妄想が渦巻いているからです。
取り組む際の姿勢やメンタリティに問題があるからです。
暗く、ネガティブなオーラ全開で、誰が近づきますか。不安を好む人しか近づきませんって。
ですので、陰謀論も、もう少し科学的になるといいますか、根拠に基づいて話しを展開するようにしたほうがいいですね。
妄想的な根拠や、想像をふくらませた根拠ではなく、もっと具体的で、明確な根拠です。
また明朗な姿勢で向き合うこと。
この2つが大切です。
常識の中にも嘘がある
しかし常識の中にもひどい嘘があります。
経済理論にも怪しいものもあります。
そもそも新古典派経済学はおかしい。
デフレ解消に役立たない。
三橋貴明氏は指摘しています。
金融工学に至っては、欺瞞に満ちていたことがリーマンショックのときに明らかになっています。
こうした経済理論などが「正しい」として何十年も信じられ(信じ込まされ)きた歴史もあります。
新古典派経済学や金融工学こそ「陰謀論」といってもいいかもしれません。
皮肉な話しですが。
陰謀論も経済理論や金融工学も大同小異です。「エビデンスがある」といわれても、それが間違っていることもあります。
すべて「仮説」であり、「正しい」と断言できません。
間違っていても科学的ということと、結果的に正しかったとすることは、実利の面からいえば、そう変わりがありません。
どっちを採用するかということになるだけです。
陰謀論の中には有益な情報もある
陰謀論の中には、いい情報があります。
「真実」もあります。
「掘り出しもの情報」もあります。
また真実などを探していく価値もありますし、要もあります。お宝情報の山でもあるんですね。
そのためには、分析力、証拠の基づく情報の収集など、冷静な姿勢が求められます。
もっとも通常は、明確な根拠のある情報や、確かな情報以外は、入りしないでほどほどくらいが
丁度いいとも思っています。
そうはいっても、掘り出しものや有益な情報もありますし、ついつい見てしまうことも少なくないのが陰謀論の世界だったりします。
で、世界を悪くしている存在を、いち早く指摘していたのも、この陰謀論の世界でした。
陰謀論も常識の見解になってきている
今では一般書にも、いわゆる「陰謀論」の世界で指摘されていた内容を著したものの数多く出回っています。
ケント・ギルバード氏の「まだGHQの洗脳に縛られている日本人」という一般書は、そうですね。
これなどは、一昔前の陰謀論です。
「GHQの洗脳」なんて言いますと、笑われた時代もありました。
が、ケント・ギルバード氏のこの本は、話題になっています。
一昔前の陰謀論が、今では「常識」になってきています。世間でも共有されいます。
陰謀論には直感でとらえたことが多い
陰謀論の世界は、その嗅覚の鋭さと、直感で物事の本質をズバリを見抜き、いち早く問題点をキャッチする、優れた感性のある世界です。
陰謀論は核心を突いたものが多いのですが、ネガティブな姿勢で関わっているため、多くの人に受け入れられなくなっています。
「ネガティブマインド」で接することが多い限り、一般大衆の賛同や理解は、まず得られないでしょう。
せっかくいいところを突いていながら、賛同が得られにくいことになっていて、ちょっと残念な気がしています。
2013/08/09 08:52:00