「いまここ」。
ブログでもしょっちゅう書いていますが、
「いまここ」を取り違えているケースがあるみたいですね。
たとえば、
「今を楽しんじゃおう」
「今が良ければオッケー」
「将来のことは考えないで、今を生きよう」
「今に全力投球してやっていこう」
とか。
「意識」を前提にしていれば決して間違いではないのすが、「意識」を前提にしていなければ、間違いですね^^;
てか、通俗的な解釈の「いまここ」は、いわゆる「刹那主義」です。あるいは「好き勝手」「わがまま放題」。「今さえ楽しければいいんだよ」(言葉の通りの意味)として受け止められています。
これは完全な間違いですね。
が、実際は、「いまここ」を、このように理解している人が、結構いる模様。危ないですね。
「いまここ」は、「意識」に根ざしているかどうかが大切なんですね。「存在」といってもいいでしょう。
「意識」「存在」に根ざしてる、開かれていることを「いまここ」というわけですね。
が、「いまここ」が体感できていませんと、ここで言っていることが、さっぱり意味不明になると思います。
それだけ誤解されているということなんですね。マインドフルネスでもそうです。
マインドフルネスも「いまここ」なのですが、誤って理解され、使われていることが多いですね。
「いまここ」は、
・リラックス
・自然体
・ソフトなやさしさ
といった状態から開きやすくなります。
しかし、リラックスや自然体がわからないという方もいます。そうした方の為に、様々なテクニックもあります。
が、しかし、様々なテクニックを使っても、サッパリわからない人もいることも事実です。
何故、わからないのか。
いくつか理由があります。
◎思考と感情に振り回されっぱなしだから
◎何らかのイデオロギーや信念に固執しているから
◎自己観察が足りない、していないから
◎思考と感情が充分に見えていないから
◎自分の日頃の状態が客観視できていないから
この辺りですね。
要するに「自分が見えていないから」です。
なので、この状態を突破していく必要があります。
逆にいえば、様々なテクニックは、こうした状態を突破するための方法だったりします。
親しい人に、「いまここ」に取り組んで10年くらい経つ人もいますが、様子を見ていると、どうも今ひとつなんですね。わかっていない。
開けている、開けていないは、言葉や心のやり取りや波動でわかります。「いまここ」は共鳴する現象があり、ある種の感触でわかります。
「いまここ」は、とってもシンプルなのですが、イデオロギーや信条に固執していたり、「これが正しい」と信じているのがあると、なかなか開けないこともあったりします。
「いまここ」に開けても、きちんとした指導なり指針がありませんと、何かにしがみついたり、強く信じてしまうことも起きるくらいです。
「いまここ」に開けること、開けた後の歩み方、これらすべてにおいて、適切なガイド、ガイダンスが、実は不可欠だったりします。