そもそも「メシア」とは?
イエスは「メシア」と言われていますね。
そもそもですが「メシア」ととはヘブライ語です。ユダヤ教に伝わる救世主です。後述しますが、メシアとはユダヤ教に伝わる概念なんですね。
そのユダヤ教に伝わるヘブライ語の「メシア」を、ギリシア語でいうと「キリスト」になるんですね。
なのでキリストとはメシアのこと。ギリシア語で言うメシア。なので「イエス・キリスト」とは「救世主イエス」という意味になるんですね。
「メシア(ユダヤ教・ヘブライ語)」とは「キリスト(ギリシア語)」のことであり「救世主」ということになります。
イエスがメシアになった理由とは?
で、今でこそイエス・キリスト(救世主:メシア)といわれていますが、イエスがメシアと認められるまでには、いろんなことがありました。
新しく作られたメシア像
結論を先にいえば、「イエスがメシアである」というのは新造です。新しく創作した概念。新しく作られたメシア像なんですね。
イエスはユダヤ教に伝わるメシアの条件を備えていなかった
当時、イエスはメシアの条件を備えていませんでした(だからメシアとは思われていなかった)。しかしキリスト教を作ったパウロ達が、イエスをメシアに仕立てるための理論武装を行う。
ところが、ユダヤ教徒(ユダヤ人)は「イエスはメシアなんかじゃない!(メシアの条件を備えていない!)」と猛反発。で、両者で論争を繰り返す。
ゴリ押しとプロパガンダでイエスをメシア認定させる
てか、パウロ達は、強引にでも「イエスはメシアだ!」としてゴリ押しを続けます。
またパウロ達は「イエスはメシア」と何度も言い続ける(プロパガンダ、宣伝)ことで次第に世間に広まり、浸透していき、そうして「イエスはメシア(救世主)」と思われるようになったといいます。
つまり、キリスト教徒が勝手に「イエスはメシアだ!」と宣言しまくった結果、「イエスはメシアだ」と認知されるようになったというわけです。
もっと簡単にいえば「言ったもん勝ち」だったってことです。
この話し、以下にくわしく書いていきます。
【参考文献】バート・D・アーマン「キリスト教成立の謎を解く―改竄された新約聖書」
メシアになるための8つの条件
で、そもそも「メシア」という概念は「ユダヤ教」にルーツがあります。で、ユダヤ人の歴史には、過去数名のメシアも登場しているといいます。
が、メシアとして認められ条件は8つ。それは、
- 処女から生誕する
- ベツレヘムで生まれる(現在のパレスチナ)
- ロバに乗ってエルサレムに入る
- 奇跡を行う
- 同胞のユダヤ人から拒絶される
- 処刑に遭う
- 復活する
- 力が強く、威厳に満ち、強大な軍隊を率いる戦う王(軍人)
この8つがユダヤ教に伝わる「メシアになるための8つの条件」であるとか。で、この8つの条件は、旧約聖書でも預言されています。
で、この8つの条件を満たしていると「メシア」認定。
で、イエスの場合は1~7は該当します(該当するように創作できます)。
しかし「8.力が強く、威厳に満ち、強大な軍隊を率いる戦う王」だけは満たすことができなかったようです。
さすが「8」だけは史実で明らかなため、創作してカバーすることはできなかったんじゃないかと思います。
ちなみにイエスの伝承のうち「1(処女降誕)」「2(ベツレヘム生誕)」「3(ロバに乗ってエルサレム入り)」「7(死後復活)」は創作だと思います(創作できます)。
「4(奇跡を行う)」「5(ユダヤ人から拒絶)」「6(処刑)」は備えていたので、弟子達が「メシアにしよう」と企てたんじゃないかと思います。
ユダヤ教のメシアとは強くて勇敢な王~イエス・キリストは非ユダヤ型のメシア
メシアは強い軍人で戦う王
で、イエスは軍隊を所有していませんでした。せいぜい十二使徒。
しかもローマ帝国を打ち払うこともできません(むしろ逮捕されて処刑)。イスラエルを主権国家にすることもできません。非力であり、軍隊を率いる王ではありませんでした。
なのでイエスは、ユダヤに伝わる「メシア像」とはまったく異なります。強くない。強大なパワーを持った王ではありません。
イエスは、いわば「苦悩するメシア」。
しかし、力もなく軍隊を率いないメシアは、ユダヤ教では考えられません。あり得ない。
旧約聖書に登場するメシアは、すべて王や祭司。強大な力を持っています。
なので他人の罪を背負って復活するメシアなどあり得えない。そんなメシア像は、ユダヤ教では考えられません。
実のところ当初からこうした問題や懸念があったため、イエスをメシアとすることに弟子達は非常に苦慮したといいます。
イエスをメシア化するために旧約聖書からフル引用
けれども弟子達は、旧約聖書からフル引用して、イエスをメシア化するための理論武装化を試みるようになったといいます。
たとえば「イザヤ書53章3節-6節」「詩編22篇(今日私はお前を生んだ)」などから引用して理論武装。メシアの再定義化を行います。
このことは「マタイによる福音書」をみるとよくわかります。マタイでは、随所に旧約聖書からの引用が記述されています。これはイエスをメシア化するための痕跡でもあります。
イエスがメシア?反論するユダヤ人
で、旧約聖書から引用してイエスを新しいメシア像に創作したパウロを含め弟子達は、プロパガンダを行うようになります。
新しいメシア像は、原始エルサレム教団が考案した苦肉のロジックでもあるといいます。
しかしユダヤ人は「それはおかしい(全然メシアのことではない)」と反発反論。
ごもっともです。
が、キリスト教徒は力説。「イエスはメシアであると!」。
で、両者に論争が勃発。
「イエスはメシアである」と言い続ける
キリスト教徒は「イエスの死と復活ことが全人類への救済の道なんだ」「イエスはメアシなんだ」と何度も言い続けます。
で、プロパガンダ(宣伝、布教)をし続けることで世間に浸透していきます。
ちなみにキリスト教は知的な人ではなく、奴隷や女性、子どもを中心に広まったといいます。
知的に理解するのではなく、勢いや雰囲気で判断する、いわゆる認知が弱く、知的能力が低い人を中心に広まるといった、いわば現代の広告宣伝に通じる手法(B層戦略)を用いたことがわかります。
つまり「数の論理」で主流にしてしまうという手法ですね。まさにB層戦略。パウロ達は電通のような広告代理店のようなテクニックに長けていたこともわかります。
世間にはメシア信仰と復活信仰の下地があった
「イエスがメシアである」という新しい概念が、世間に浸透した背景には、当時の社会情勢、空気感にも理由があったといいます。
当時、ユダヤ教に伝わる「メシア思想」と「復活信仰」は広く知れ渡っていたといいます。このことはこちらの記事でくわしく解説しています。
イエス・キリストが生きていた頃はメシア信仰と復活信仰が広まっていた時代
当時は、ローマ帝国による圧政が続く時代。人々の心には「楽になりたい」「助けて欲しい」「苦しみの無い体になりたい」という願いが、広くあったことは容易に想像できます。
で、イエスは人類の罪を背負って亡くなったものの、死後、復活して不老不死の肉体となり、上空にある天の国に昇天し、創造主の右の椅子に座って、今も生き続けている。が、世の終わり(最後の審判の日)になると再臨して信じていた人達を復活させて不滅の肉体にして救う。
このような全く新しいメシア像を考案し、これを説き続けたわけですが、こうした「新しいメシア像」が受け入れられたのは、当時の社会情勢、空気、あるいは人々の集合意識もあったからですね。
つまり新造メシア像(イエスはメシアだ)を、世間が受け入れる下地があったということです。決してパウロ達の宣伝戦略だけの賜物ではないということですね。
新しいメシア像を掲げたキリスト教(パウロ教)
こうして今までにない(ユダヤ教に伝わっていない)まったく新しいメシア像を創作し、これを広めて、社会的に支持を得る。
で、ユダヤ教に伝わる「メシア信仰(待望)」と「復活信仰」を合体させ、なおかつアップデートして教義化したのがパウロ教(キリスト教)。
キリスト教(パウロ教)は「イエスの死と復活がキモ」と言われています。また「イエスはメシア(キリスト:救済者)」と言われています。
しかしこのように定型化されるまでには歴史があったということですね。で、定型化されるまでには宗教上の戦いがあり、また強引にでも布教して広めていった歴史があるということです。で、この史実がわかると「なるほど」と思うんじゃないかと思います。
詰まるところ、人間の業、人間の行いだなあってことです。「広まったもん勝ち」。こういうのはまさに「人間臭い」ですね。
で、人間臭い、良くも悪くもごった煮のまま人間が作り上げてきたのがキリスト教の歴史。
仏教、ヨーガ、神道などの宗教とはまったく異なり、人間が作り続けてきた宗教、それがキリスト教。イエスのメシア化の歴史をみても改めてわかります。
イエス・キリストが生きていた頃はメシア信仰と復活信仰が広まっていた時代 キリスト教はパウロが作ったユダヤ教(ファリサイ派)のアップデート宗教だった
以上のことはアーマン「キリスト教成立の謎を解く―改竄された新約聖書」にくわしく書いてあります。知られざるキリスト教のことが非常によくわかります。現代人の教養とし知っておいたほうがよいと思える必須の本ですね。
【参考文献】バート・D・アーマン「キリスト教成立の謎を解く―改竄された新約聖書」