「ほどこし」の精神は大切
「ほどこし」の精神は大切と思っています。
ほどこし(施し)。
しかしながら今では、カルト宗教の影響もあってか、
ほどこしの行為 = だまされる・カルト
というニュアンスも浸透している感があります。
しかも最近では、「仏教をやっても性格も変わらない」という教えも出てきていますので、ますます「ほどこす」ということが疎(うと)くなっていく懸念もありましょうか。
一方、仏教とは違って、スピリチュアルの世界では、「人様に何かをほどこしたほうがいいよね」といった健全な見識が広まっています。
実際のところ、スピリチュアルの世界でプッシュしているように「ほどこし」の精神は大切です。
与えれば、かならずどこかで返ってくる。
こうしたことは卑近な言い方では「返報性の原理」などといいますが、「ギブ&テイク」という考えだけでなく、「ほどこし」は尊い精神を育みます。
ほどこしはハートを開く
「ほどこし」は実際に継続しますと体感できるようになります。何かほどこしの行為をしますと、心の中にポっと灯りがともる感じになります。
え?何も感じられないって?
それは、継続していないからですね^^
ええ、続けていないからです。
何も見返りを期待しないで、肯定的な気持ちをもって、自分が提供できる何かを提供してみる。
これを継続していくんですね。
そうすると、だんだんと、豊かな心になっていくことが実感できるようになります。温かく、ハートがふくらむ感じです。
ほどこしによって自分のはからいを捨てる
ですので、仏教のみならず、キリスト教でも、イスラム教でも、世界中の宗教が「あたえる」行為を尊んでいます。また推奨しています。
潜在意識を使って性格を変えるとか、瞑想をやって性格を変えるとか、そんなことだけをやっていても、一向に人間性が向上しないこともあります。ええ、あります。
なぜなら、「自分」という枠から離れていないからなんですね。
なんか宗教じみたことを言うかもしれませんが、これは事実なんですね。自分のはからいを捨ててみる。自分のためだけでなく、人様に何か無償で提供してみる。継続してみる。
そうすると、瞑想とか、そんなことをやらなくても、次第に人間性が豊かになっていくんですね。
リアルに「当たり前のこと」を、多年にわたって継続することで、豊かにもなってまいります。
ほどこしは収入の2~3%が望ましい
ちなみにイスラム教では、給与や資産の2~3%をほどこすと良いといっていますね。
毎月30万手取りなら、6千円~9千円です。
これくらいを、どこかに寄付したり募金したり、あるいほ施設やお寺、教会など、適切なところにお布施をすることですね。
最近は、偽装団体もありますので、お布施先は、よく調べたほうがいいですね。
無財の七施はお金のかからないほどこし
あるいは金銭だけでなく、行為で「ほどこし」もできます。昔から、「財物によらない七つの布施」があります。これを「無財の七施(むざいのしちせ)」といっています。
・やさしいまなざし
・笑顔
・やわらかい言葉
・礼節
・気配り
・譲り合い
・心地良いもてなし。
こういったサービスを差し上げることですね。これらも立派な布施(ふせ)です。
ほどこしは意外と自然に行っている
って、意外と仕事の中でも自然にやっているんですね。ええ、実は仕事を通して「無財の七施」をしていることが多かったりします。
ですが、仕事を離れても、こうした「無財の七施」を自然に行うことができますと、その人を豊かに、ふくよかにしてまいります。
で、エゴまみれで低俗過ぎる専門家よりも、社会に出て、仕事や生活の中で、自然に徳を育む人のほうが、実は何倍も何十倍も尊かったりします。
宗教的な面からいいましても、「無償の精神」で「ほどこし」を続けている人は、遅かれ早かれ、「恩寵の扉」が開いてまいります。
ほどこしは恩寵の扉も開く
こちらの「ザ・シフト」という、体験に基づいた映画をご覧になると、「あたえる」ことの神秘的な面がわかるかと思います。
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「あたえる」は、単なる善因善果だけではなかったりします。その人のメンタリティを飛躍させる恩寵が起きることがあったりもします。
ですが、そういうことを抜きにしましても、シンプルな「ほどこし」の実践は、誰でもできて、誰もが物心両面にわたって豊かになれる方法ですね。