無条件の愛は能力を高める
無条件の愛は能力を高めます。
このことは意外と知られていません。
といいますかほとんど知られていないでしょう。
けれども無条件の愛こそが、人間性や霊性のみならず、その人の能力を拡大し伸ばします。
無条件の愛には、そのような作用があります。ですので、自分の能力を高めようとするならば、無条件の愛の実践と体得が欠かせなくなります。
宇宙的存在と無条件の愛
私は20代のときに、宇宙的存在と遭遇して、それ以来、人間が変わってしまったものです。
と、書くと、異常を来した人であるとか^^;アレになってしまった人に思われるかもしれませんが、遭遇ではなく、トリガーみたいなものでしてね。
いえ、これは「ぼかした」表現なんですね。が、宇宙人の教えと接しているときに覚醒体験がありましてね。一瞥体験です。
その一瞥体験のことは、こちらにも書きました。⇒一瞥体験
この時の体験で、
・本当の自分
・神の愛
・意識の高揚
・思考の使い方
といったことを知り、これ以来、物の考え方とかも変わってしまいましてね。脳の使い方が変わったといいますか。そんな感じを受けてもいます。
物事をまずは直感や全体像でつかみ、その感じを翻訳していくように大脳を使っていく感じです。
物事の本質がわかるといいますか。そんな感じになっていきます。
能力を高めたいなら「無条件の愛」
「無条件の愛」。
無条件の愛が極めて重要であることをさとったものでした。
仏教的には「慈悲」といってもいいですね。あるいは「無償の愛」「見返りを求めない愛」。どれも同じ意味です。
よく能力開発とかありますが、実は能力開発のアプローチだけを取るのは、あまり効果が期待できなかったりします。
テクニックやメソッドだけにとらわれ、能力の向上だけ求め始めると、とかく問題を引き起こします。
性格的に偏りを引き起こしたり、エゴマインドや自己中を強め、場合によっては、精神を病んだりすることが出てきます。
能力を高めたいなら「無条件の愛」を高めることです。
慈悲を高めること。
これは断言できます。
体験的に断言できます。
無条件の愛を高めることが、その人をアップさせます。はい。
チャクラは自然に活性する
無条件の愛が能力を高めることは、シュタイナーも言っています。
シュタイナーは「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」という著書の中で、チャクラを開発する方法を述べています。
シュタイナーは、意念を使って意図的にチャクラを開発する方法には反対しています。
そうではなく、愛(ハート)を高めたり、人間性を高めることで、チャクラは自然に開発されると述べています。
チャクラは愛と霊性が高まれば自然に開く
シュタイナーのこの見解は本当にその通りです。
で、意図的に無理にチャクラを開発するのは、問題を引き起こすことがあります。
その問題もシュタイナーの書にあります。エネルギー的にアンバランスを引き起こすことが多くなるんですね。
そもそも自然にチャクラが開かれても、チャクラが安定していくプロセスにおいて、いろいろと問題が出てくることすらあります。
これがもし意図的に開発するならば、大変になるんじゃないかと思います。実際、大変な目に遭っているケースがあります。
チャクラも、結局、人間性になってきます。
いや、霊性ですね。
霊性が高まることで準備ができる。
愛(ハート)がそなわってくると準備が整う。
で、準備が整うと、チャクラは自然に活性し始めます。
その準備とは、逆にいいますと心身を浄化していくことなんですね。
心と体を浄化していく。
浄めていく。
これがひいいては人間性なり、霊性を高めていくことと関連してきます。
「いまここ」は「心を浄める」
浄化、浄めるといえば「仏教」です。
仏教は「心を浄める」というアプローチを取っています。
といいますか仏教を一言でいいますと「心を浄める」教法となります。
で、「心を浄める」という実践は、「いまここ」にフォーカスした表現でもあるんですね。
「いまここ」を行っていると、とらわれ、心の傷、深い処にある感情やとらわれが浮上してきます。いや気づくようになります。
で、「いまここ」が、これらの感情を浄化します。潜在意識にある不浄な心を浄化します。
「いまここ」に臨在すると浄化が始まります。この現象を「心を浄める」と言っているのだと思います。
で、この浄化の連続の中で、グレート・スピリアット、宇宙意識、真我、いろんな表現がありますが、そうした生命の根源と同化し、認識が落ち、自分が消えて、いわゆる「悟り」が起きます。
こうしたことは、シュタイナーも似たようなことも言っています。
無条件の愛はメソッドよりも大切
能力の開発とか、瞑想の仕方とか、技術的なことも有益です。有用です。
けれどもこれ以前に、もっと大事なことがあるんですね。
それが「無条件の愛」。
「霊性」といってもいいですね。
テクニックやメソッドよりも大事だったりします。
また、哲学化したり、言葉の定義を厳密にしたり、観念に落とし込んでいくことは、本質ではありません。こうしたことは余興のようなものだったりします。
こうしたことは自らの内に感じるものを、表現し、伝えるための手段です。それが観念であり、言葉の定義であり、哲学化です。
言葉の羅列の中そのものに真理も何もありません。言葉や観念だけを追っていっても何も得られません。混乱と迷いが深まるだけです。解離(かいり)して、空想や妄想の世界に耽溺し、上の空になるだけです。
余計なことを考えたりして煩悶するのではなく、「いまここ」にあるようにして、心をすっきりさせて浄めていくこと。
このプロセスで、その人の人間性が高まり、霊性が高まり、並行して能力が高まるようになります。
無条件の愛・慈悲が人を進化させる、そういうメカニズムが人間の中にはあります。
無条件の愛を欠くと虚無になる
無条件の愛を欠いたアプローチは、多くは冷たくなり、枯れ木のような状態になります。
しかも、その寂しくも枯れた状態を「悟り」であるとか勘違いするようにすらなります。
こうしたことは、マインドとしての知性が誤認した典型的な状態だったりします。
日本人は、案外、ここに陥ってしまうケースも少なくありません。
無条件の愛に基盤を置くことは、人間性、霊性そのものを高めることで、とても大事なことだったりします。