慈悲と霊性のハート次元~輪廻転生・霊界・神通力を認める感性

ハートは慈悲と霊性の次元です。
中でも霊性(れいせい)は大切。

私は、霊性を大変、重んじています。
霊性とは、ハートのことでもあります。
慈悲のことでもあります。

フーマンは、ハートのことを「ミステリアス(神秘)」とも言っています。
ミステリアス(神秘)とは、霊性のことでもあります。


 

霊性。

これは、物質世界を超越した異次元を感じ、認める能力でもあります。
ひらたくいえば「霊能力」に通じる感性ですね。

霊界を感じる感性。
輪廻転生を感じる感性。
神通力を認める感性。
 

霊性には、必ずハートがそなわってきます。
ハート。
慈悲。
四無量心。
やさしさ。
愛情。
利他の心。
ほどこしの心。
助ける気持ち。
同情する心。

この心。
この心が弱いと、何かとよろしくありません。
 

悟りでもそう。
ハートの無い悟りもあります。
禅、非二元が、これ。

で、ハートの無い人が、ハートの無い悟りに惹かれる。
禅、非二元に惹かれ、なびく人が、ハートが無いか弱い。

だから、この手の人は、問題を起こす。
 

で、何も、禅や非二元の悟りだけでなく、
実生活でも、ハートの無い人、弱い人は、トラブルメーカーになります。

そういった話しを、実は、ここ数日の間に、
立て続けてに聞いています。
 

数日前に、相談に乗った方は、職場の上司がおかしい。
人の悪口、ネガティブなことを言い続けていると。
皮肉なことに、馬力だけはある。
だから、出世して上司となっている模様。

こうしたハートの弱い人は、合理性や効率だけで動きます。
人間の感情やさやしさなど、わかりません。
「なにそれ」といった具合でやさしさに欠けます。
 

今日もまた、友人から聞いた話し。
やはり同じタイプ。
職場にいる女性の上司だが、人の気持ちがわからないという。
女性でありながら。
共感性が無いといいます。
驚きます。

この手の人達は、おおむね知的に傾きすぎて、
ハートが欠けているか、ありません。

だから霊性など迷信にしか思えない傾向がある。
 

こうしたハートを欠如した傾向は仏教界でもそうです。
日本の仏教界では、明治の頃に、ハートを失っています。

西洋哲学の合理性に圧倒されて、
輪廻転生は迷信だとして、排除しています。
合理的な仏教に変容してしまった。

で、この流れを受けて、現在の日本の仏教界でも
「輪廻転生は無い」言う僧侶も少なくありません。

仏教学者のほとんどは「輪廻転生は無い」と言っています。
これも霊性の欠如でしょう。
残念なことです。
 

で、タイ仏教でも、20世紀になって、日本と同じようなことが起きています。
ただし、タイでは、国家がやってしまった。
モンクット親王の時代に、西洋の合理性の影響を受けて改変。

輪廻転生は無い。
霊界も無い。
神通力も無い。
禅定などやる必要が無い。

タイ国では、こうした教理に改変しています。
いや、合理という名の改ざんといっていいかもしれません。
霊性の無い仏教にしてしまった。

厳密にいえば、タイ仏教は、原始仏教ではないんですね。
霊性の無い、心理学と同じ土俵にある「仏教」だったりします。

で、こうした歪んだ動きに反旗を翻す形で、霊性を重視するタンマガーイ寺院とか、
サンティアソークというのが出てきているわけですね。

しかし、タイでは、これらの新興の勢力を、異端として排除。
けれども、どうなのでしょうか。

長い間、タイの仏教は正しいと信じていましたが、事実は逆かもしれません。
タイ国が間違っているかも。
 

明治以降の日本の仏教も、タイの仏教も、総じていえば、霊性を欠いています。
霊性を欠如しています。

霊性を欠いた宗教は、ハートが弱くなります。
あるいは無い。
だから智慧とか合理を全面に出してきます。

ハートがあるように見えて、ハートが無い。
だから、知的モンスター化もしやすくなります。

こうした欺瞞を一つ一つ、見抜いていくことの大切さを感じます。
 

ハートのある人は、性根がやさしい。
やさしいから、人から騙されることもある。
貧乏クジもひきやすかったりする。

しかし、こうした「やさしさ」のある人には、霊性が育つ可能性がある。
霊性を、潜在的に有している。
ハートがある。

だから、そのハートを浄める必要がある。
「いまここ」を通して、心の浄化を進めていくに従い、
ハートの次元が開かれてくる。

やさしさ。
うるおい。
いたわり。
感謝。

そういった温かい心があふれだすようになる。
 

そうすると、やがて神々が近づいてくる。
それが、わかるようになる。

ますますハートの大切さがわかるようになる。
ハートが大切なんだ。
だからブッダの後に、キリストが現れたんだ。

ハート。
ハート。
究極は、ハート。

智慧の悟りで終わってはダメ。
ハートの次元に進む。
進む。
 

ハートがある人には、神々が近づいてくる。
神々が守ってくださるようになる。

ハートは、徳を育む。
徳が備わるようになる。

すると、運も良くなるっていく。
環境が整う。
 

ほら、以前、書いたでしょ?
悟りの修行をしていく上で、守られていることが大切だと。

在家仏教の悟り修行では悟り系(いまここ)と幸福系(善行)の両方が必要

このことは、まさに「ハート」の話しなんです。
ハートが、いかに大切か。

こうしたことは、世間の悟り系の本には、
まったくといっていいほど書いてありません。

しかし、本当は、ものすごく重要なことだったりします。

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