般若心経は「般若波羅蜜多呪」というマントラ(真言)で悟るためのお経
般若心経。
有名なお経ですね。
しかし般若心経は「マントラ(真言)」の読誦を勧めたお経なんですね。ええ。
「空」を説いたお経なんて言われています。確かに、空を説いています。
が、般若心経は、マントラ(真言)読誦のオススメを説いたお経なんですね。最後の「ギャーティーギャーティ~」がそうです。般若波羅蜜多呪。
掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提娑婆訶
ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージーソワカー.
これですね。
で、このマントラ(真言)がどういうものかと言えば、
- 是大神呪・・・偉大な神のマントラじゃぞ
- 是大明呪・・・偉大な悟りのマントラじゃ
- 是無上呪・・・この上ないマントラじゃ
- 是無等等呪・・・比較するものがないくらい素晴らしマントラなのじゃよ
- 能除一切苦・・・あらゆる苦しみを取り除く効果があるマントラじゃぞ
- 真実不虚・・・これは本当のこと、嘘はないぞよ
というスーパーな真言なわけです。これが「般若波羅蜜多呪」というマントラ(真言)。
なので、般若心経は、この真言を延々と唱えるのが本筋だったりします。般若心経とは、そういうお経だったりします。
要するに悟りの助けになる真言が「ギャーティーギャーティ〜」。この「般若波羅蜜多呪」を唱え続けると、悟れますよ、といったお経です。
マントラ・ヨーガで悟ったタイの阿羅漢アーチャン・マハーブーワ
真言は「マントラ」のですね。
ヨーガでいうところの「マントラ・ヨーガ」。
マントラ(真言)をひたすら延々と唱え続けることで、悟りにいたれるようになります。
実際、この方法は、テーラワーダ仏教でも行われています。アーチャン・マハーブーワという比丘は、「ブッダ、ブッダ」と常に言い続けて悟られています。
『阿羅漢向・阿羅漢果』1-7 – Sayalay’s Dhamma book
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2018/07/14/142138
アーチャン・マハーブーワは、性状道論にある「念仏」という方法を実習されたようです。「念仏」とは、ブッダを念じる「サティ」になります。
ちなみに「念(サティ)」を「気づき」であると言われていますが、本当は、一つのことをずっと集中し続けることが原義だったりします。
近年言われている「気づき」は、19世紀にミャンマーやタイで行われた仏教改革運動の末に潮流となった、近代テーラワーダ仏教の現象だったりします。
元々は、禅定を作って智慧と観察で悟るのが王道でした。
ところが軽い集中状態(近行定)で智慧と観察で悟る慧解脱者(乾観者)の方法を19世紀のミャンマーやタイで起きた仏教改革運動では主流としています。
「念」(サティ)」の原義は(本当の「念」は)、日常の中でも一つのことにずーっと集中し続けることをいいます。
念仏・題目・真言はマントラで悟るマントラ・ヨーガ
なので日本に伝わっている「念仏」も、悟りにいたる方法だったりします。法華経の「南無妙法蓮華経」のお題目もそうです。密教に伝わる真言もそうですね。
密教といえば空海が若いときに修行した「虚空蔵菩薩求問持法」もそうです。虚空蔵菩薩求問持法は、虚空蔵菩薩真言を延々と唱え続けることで、ニミッタ(明星)が現れて、それに没入して禅定に入る瞑想です。
清浄道論で説かれているパオ森林僧院で行われている禅定と本質は同じです。
真言、マントラを延々と唱え続けることで、真言・マントラと一体となり、禅定に至り、このときに智慧と観察によって悟ることができると言われています。
般若波羅蜜多呪を延々と唱え続けていると、禅定にいたって、そのときに智慧が発動して悟ることができるという塩梅ですね。ヨーガでいうところのジャパ、つまり「マントラ・ヨーガ」ですね。
アーチャン・マハーブーワ比丘も、マントラで悟っています。まさに、般若心経の言う通り。マントラで悟ることができる。
で、般若心経では、「般若波羅蜜多呪」をオススメしているということですね。ま、自分にフィットするマントラであれば、何でもいいと思います。
マントラでなくても、「ブッダ、ブッダ・・・」と唱えてもいいですし、神さまの名前を唱えてもいいですね。
清らかになる言葉であれば、何でもいいので、延々と唱え続けることですね。で、禅定に至ることを目指すわけですね。
で、これが「本当の念(サティ)」でもあります。
掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提娑婆訶
これを延々と唱え続けること、それが般若心経が説いていることだったりします。