それにしても悟りの道において、日本はとにかく言語化が下手ですね。言葉にしない風潮があります。
不立文字の伝統があるためか、日本は「悟り後進国」になっています。言語化をしない、不得手であることは、現代では足かせにもなっています。
その点、海外のアドヴァイタは、言葉を費やして精密な描写を試みています。ハッキリいえば海外の悟り系のほうが格段に参考になります。
日本の禅、仏教、スピリチュアルは、言語化があまりにも稚拙。微細な心の描写やプロセスについての説明が極めて下手。
日本では、仮に言葉を使っても小難しい禅の言葉を費やす形になっています。パズルを説くようなマインドゲームの世界に誘うこと自体がナンセンスであり、結果的に求める人達を煙に巻いています。
覚者となった者は言葉を使っての説明をまったくといっていいほどしないため、実は日本は、悟り系後進国だったりします。
私は日本人で参考になると思っているのは、故人では井上義衍氏です。しかし井上義衍氏も、禅特有の難解な言葉を使っていたため、一部の人にしか理解できない問題もあります。
その他はズレを感じることが多く、ほとんどアテにしていません。言語表現も上手ではありませんので参考にすらしていません。YouTubeやブログなどもあるようですがまったく見ていません。
結局、日本には、まったくといっていいほど参考になるのはないというのが偽りのない感想です。
悟り系、プレゼンス、いまここなどは、海外の情報のほうが役に立ちます。たとえばこちらの翻訳書を読むなどしたほうが何倍も参考になるでしょう。
自己を見つめる鋭さと、その表現は素晴らしい。シャープな洞察力が欧米人の特徴です。日本人は残念ながら足下にも及びません。
いや決してできないことはないと思います。禅の悪しく慣習や風習の影響を受けているため、言語化しにくい空気があるんじゃないかと思います。
禅はハートを欠如しているだけでなく、その他の面いおいても問題が多いですね。よろしくありません。