奥義とは気の世界
いろんな世界で「奥義(おうぎ)」がいわれていますね。
奥義。
真髄のことですね。
で、奥義とは「気」ですね。
気。
気こそが奥義であり真髄になります。
気は言語化が難しかったりします。
なので禅では不立文字(ふりゅうもんじ)とも言ってもいます。
言葉で表現するのが難しいからですね。
しかしながら現代では心理学も発達していますし、「気」を言語化できる材料は、昔に比べればそろっていると思います。
けれども完全に言語化はできませんね。
「気」こそが、物事の深い部分であり、深奥になりますね。ある意味「曖昧なことは気」といった方がいいかもしれません。
世の中は曖昧なことが多い
で、実際、世の中には「曖昧」なことが多いですね。ビシっと線引きできないことが多い。
たとえば音楽のカテゴリー。
いろんな音楽ジャンルがありますよね。
ところが実際は、明確に区分できないジャンルもあります。
曖昧なジャンルにカテゴライズされる楽曲も多いものです。
ちなみに30年くらい前は、カテゴリーを決められない不明瞭な音楽は、レコード化されなかったといいます。
宣伝がしにくいのが、その理由だったようですね。
ですので昔は、音楽には「必ずジャンルがある」「ジャンルに収まるべき」という考えが、根強くあったものでした。
ジャンル分けは、売り手やサービスを提供する側にとっては、必須のものだったりします。
これがないと管理もやりにくくなります。
ツタヤなどのレンタルDVDでは、カテゴリー分けしていますね。しかし、これが意外と煩雑。
カテゴリー分けされても探し難い。
いっそうのこと、単純に五十音別に並べてもらったほうが大助かり。
ジャンル分けはあまり意味をなさない
結局、ジャンルとかはあまり関係なかったりしますね。良さそうなものは、直感で判断して、楽しんだりします。
天才音楽家には、ロック、テクノ、アンビエントと脈絡なく変貌を遂げている人もいます。
ですが、根底は一緒です。
「雰囲気」です。
空気のような、心地よい「雰囲気」が一貫しています。
物事は、見た目の様相ではなく、その根底に流れている雰囲気のようなものが、案外重要だったりします。
この雰囲気を単に「気」ともいいます。
しかしこの「雰囲気」は重要。
気を数値化できると社会は変わる
様々な世界の「奥義」と呼ばれるものが「気」の世界です。それだけに物事の本質が、ここにあります。
そしてこの「気」を数値化し、客観的に判断できるようになれば、現代社会の問題のほとんどは解決するでしょう。
社会は大きく変わりますね。
悪意で行っているのか、善意で行っているのか。こうしたメンタル部分を数値化できるということです。
心の状態を客観的に判断できるようになるわけですね。もしもこれが可能になれば世界は変わります。
心は気と関連している
心は「気」と連動しています。
日本人は、これが分かっていた。
「気持ち」「気分」といった言葉もあるくらいです。
この気感に優れてているのが日本人。
というか、日本という風土。
オカルト話しになりますが、各種の予言で、「日本が世界を変える云々」とかありますが、これはまんざらでもなかったりします。
真意は、上記のことにあると思っています。
「気」を測定し数値化できれば、世界は変わります。気感に優れた日本人に期待するのは、こういうところもあったりします。