矢野顕子「海と少年」
矢野顕子さん「峠のわが家」~海と少年。
なんともレアなものがあったではありませんか。
これは、前から紹介したかった作品です。
海と少年(峠のわが家)/矢野顕子(1986年)
※引用元:矢野顕子(Official)
これこれ。
矢野顕子(やの-あきこ)版の「海と少年」。
これが最高。
「海と少年」は、オリジナルは大貫妙子(おおぬき-たえこ)さんです。
矢野顕子版は、カバー。
1986年2月21日発売の「峠のわが家」に収録されています。
矢野顕子カバー版「海と少年」のほうがすごい
しかし、矢野さんのカバー版が最高。
何が最高といえば、「オケ」。
オケが、まず最高。
ドラムのジャスト感が半端ありません。
その他、演奏が正確無比。
確か、全部、人力ですね。
シーケンサーは使っていなかったはずです。
あとプロフェット5かDX7の中域がこもったシンセストリングスによるフレーズが、これまたよかったりします。
素晴らし過ぎ。
さらに、間奏の部分がいいんですね。
ピアノのハネた感じがナイス。
シンセストリングスもよかったりします。
ちなみに編曲(アレンジ)は、坂本龍一さん。
さすが。
素晴らし過ぎ(^o^)
ヤマハ社のDX7が席巻していた時代の作品
ところでこの頃は、ヤマハ社のDX7が席巻していた時代です。
DX7は技術的に画期的で、それが話題性になっていたんですが、音そのものは人工的過ぎて、スカスカな音に聞こえるんですね。
しかし、この頃、DXの音を、猫も杓子も使っていました。
80年代に横行していた「マスメディア洗脳」が効いていたからというのもあると思います。
本当は、それほど大したことではないのに、メディアで騒ぐので乗せられてしまう。
今では、こういうメディア洗脳は、それほど効きませんけどね。いえいえ、コロナ騒動を見ていると、メディア洗脳は健在なことがわかります。
それでも、メディアに騙されない人も増えてきていますね。そういう意味で、昔よりはよくなっていると思います。
で、矢野顕子さんの「海と少年」にも、DX7の粗雑な音が使われていたりもします。
DX7の音が唯一気になるくらいで、それ以外はいいんですね。
求道時代の思い出
ところで「海と少年」は、10代の後半によく聴いていたものです。
当時、求道精神が半端なく強く、強烈な修行をしていましてね。
が、メチャつらく、苦しく、どこにも出口が見えない、そんな深い悩みに陥ってものでした。
うつ病みたいな状態でした。
進路の悩みもありましたが、自己観察に没頭していて、それが習慣化し、気がつけば自分を見つめてしまうという日々。
当時は、適切な自己観察を知りませんでしたので、いたずらに自己の欠点を見つめて自己否定観に陥っていて、この悪循環が続いていたものでした。
なんとかして、この悪循環から抜け出そうと必死でもがくのですが、まったく出口が見えません。
そんな日々の中、矢野顕子さんの「海と少年」が気持ち良く、音に身をゆだねて聞き入っていたものです。
間奏の部分がとても気持ち良く、間奏のところだけを何度も繰り返して聞いていましてね。
坂本龍一さんのアレンジはスッゲーなーと感動しながら聞き入っていましたが、ホント、音色、リズム、すべてが気持ち良く、その心地よさに浸っていたものです。
この曲を聴いていると、何もかもを忘れることができる。心地よい音の響きに浸って、苦しみを紛らわしていたものです。
今だったら、もっと適切なアプローチも知っていますし、アドバイスもできます。
が、当時は、適切な指南本もありませんし、相談者もいません。
暗中模索の手探りで、必死になって答えを求めようとしていたものです。
そんな求道生活の時代、支えになったのが矢野顕子さんの「海と少年」。
ちなみに、当時の私と似たような自己観察を続けていた人に、那智タケシさん、別府慎剛さんがいます。
興味深いことに、お二人とも、私と似たような体験をしています。
自己観察は、苦しみに陥ることがありますが、その反面、強烈な目覚めを引き起こすことがあります。
矢野顕子「海と少年」は知られざる昭和の名曲ポップス
そんな思い出のある矢野顕子さんの「海と少年」。
で、これ1986年の作品。
ポップスを超えた「アート」ですね。
アートです。
矢野顕子さんのほかに、槇原敬之さんもカバーをしています。
ホント、いい曲なんですね。
前から紹介したかったのですが、矢野顕子さんのオフィシャルYouTubeチャンネルが出来ましたので、紹介できます^^
それにしても昭和の時代のポップスには、こういう素晴らしい作品があることを知っていただきたいですね
ホント、マジ最高の珠玉の作品がたくさんあります(^o^)