仏教の縁起とはトニー・パーソンズ風の言い方が適切
縁起。
仏教の言葉ですね。
「縁起」と聞けば、「縁起がいい」「縁起をかつぐ」といったように、未来に吉兆を期待する意味に理解するかもしれません。
が、こうした使い方や意味は、本来の「縁起」ではないんですね。
トニー・パーソンズが言っている「物事はただ起きている」こそ、縁起本来の意味にだったりします。
今日は、そんな「縁起」のお話しです。
縁起の意味は「縁(よ)りて起こる」
縁起とは、「縁(よ)りて起こる」の意味です。
「十二因縁」という理屈で説明されることが多かったりします。「存在の仕組み」を解いた真理ですね。
十二因縁は存在の仕組みを説明した教え
が、「十二因縁」とは、新宗教でよく使われている、運命の「悪因縁」のような意味でもありません。
ええ、これは100%大間違いです。
そうではなく、「十二因縁」とは、
無明
行
識
名色
六処
触
受
愛
取
有
生
老死
の12個で説明される「存在の仕組み」です。原理ですね。
で、十二因縁はいろんな説明もされています。
が、要するに、「無明」といった「気づいていない状態」にあると、「行」といったエネルギー(潜在意識)から認識が生じて、形・思考となっていく。
で、こうしたことを下地に、五感(六感)で受けた情報に対して、様々な反応をしていくものの、やがて消えていく。
で、ここに不遇感や不幸、苦しみを感じますよ、という連鎖反応の仕組みなんですね。
要は、「無明」といった「気づいていない状態」があるが故に、人は、迷いの世界におぼれ、苦しみを感じてしまう、ということだったりします。
こういったことになります。要は、そういうことになります。
トニー・パーソンズの「物事は、ただ起きている」
で、この「縁起」のことを、別の言い方をすれば、「物事は、ただ起きている」ということだったりします。
おっと^^;
トニー・パーソンズ系のノンデュアリティをはじめ、スピリチュアルの界隈では言われていますよね?
が、この「物事は、ただ起きている」こそ、「縁起」のことです。
昔風にいえば、「縁(よ)りて起こる」。
今風にいえば、「物事は、ただ起きている」。
同じことです。
縁起は「因果関係」を表した真理とは限らない
が、「縁起」は、ある程度長い時間の中で、「因果関係」としても解釈されがちです。
昨日、タネをまいた。
今日、芽が少し出た。
こういうように、ある程度、時間がかかる因果関係。原因と結果。
確かに、そういう縁起もあります。
縁起は極小時間において生じる仕組み
が、本来、「縁起」として言われているのは、極小時間において生じる仕組み、連鎖反応を説いたものですね。
瞬間的に、パっと起きる。
それが「縁(よ)りて起こる」。
で、この極小時間を無視したり、通常の意識でキャッチしますと、「物事は、ただ起きている」とい風に感じられるわけですね。
「これあれば、これあり」とも説明される「縁起」とは、極小時間で瞬間的に生成する「縁(よ)りて起こる」の意味だったりします。
それが、「物事は、ただ起きている」。
つまり、縁起のことなんですね。