聖書学者バート・D・アーマンの著書はキリスト教学習に最適
聖書学者「バート・D・アーマン」の一連の書籍は参考になります。
牧師を養成する大学の神学部で教えている、過去200年間の神学研究の成果を、一般向けにわかりやすく書いてあるからですね。
聖書の精読だけでなく、キリスト教に関連する様々な資料や文献にも精通しているため、大変参考になります。
良書があってこそ、キリスト教の学習も、スピーディーに出来ますね。
バート・D・アーマンの経歴
そのアーマンですが、経歴がこれまた興味深いんですね。
10代の頃から原理主義だったアーマン
1955年10月5日、アメリカカンザス州生まれ。
1972年、高校二年生のときに福音派(原理主義者)の話しを聞いて新生(再生)し、キリスト教に目覚める。で、原理主義者になる。
高校卒業後の1973年、ムーディー聖書研究所(バリバリの福音派で原理主義)に入校。
聖書を丸暗記。一字一句を完全に覚えたという。
当時の彼にとって「聖書は絶対」。聖書は「神が作った完璧な書物」。「絶対に誤りがない唯一の書物」。
これをガチで信じていたという。
どこから切ってもガチガチなキリスト教原理主義者(福音派)。
求道精神が強かったアーマン
アーマンは求道精神が強く、聖書の中に「世の真実がある」と思い、10代20代の時期に、聖書の文言通りに生きていこうと修道士さながらのストイックな生き方をしたといいます。
こうした所はものすごく共感しますね^^;
私も崇高な理念を掲げてストイックな10代20代を歩みました。アーマンの気持ちはものすごくよくわかります。
評判の聖書研究者&学者になったアーマン
1978年、ムーディー卒業後、ホイートン大学へ進学。
聖書学に没頭。古代ギリシア語(コイネー)を学ぶ。コイネーで聖書を読むことができるようになる。
1981年にプリンストン神学校へ神学。5000以上の聖書写本を収集し、聖書を研究し尽くしたという。
卒業後は優れた聖書研究者となり学者になった。
評判の聖書学者となり、全米における大学神学部の教科書も作成したほど。キリスト教を徹底的に研究し、隅から隅まで知り尽くしたと本人談。
キリスト教を捨てたアーマン
しかし研究すればするほど聖書への信仰が揺らいでいった。
聖書は矛盾が多すぎる。もう原理主義にはなれない。
ついには福音派(原理主義)を続けられないと悟り、イギリス系プロテスタント聖公会(アングリカン教会)へ転身。
その後、15年間信仰を続けるものの(信仰にしがみついてきたが)ダメだった。
キリスト教の信仰そのものを捨てた。
現在は不可知論者となったアーマン
現在は不可知論者(神がいるのかどうかわからない)という立場。
アーマンがキリスト教の信仰を捨てた理由は、キリスト教の教義が矛盾だらけだからではないという。
実際、大学の神学部で、キリスト教の本当の歴史や、聖書の本当のことを教えているが、キリスト教の真実を知ったからといって、信仰を捨てた人はあまりいないという(アメリカでは)。
アーマンがキリスト教の信仰を辞めたのは別のところに理由があるという。それはキリスト教の根幹にある「創造主」に対する疑問。ここだったという。
正直なバート・D・アーマン
アーマンの著書読んで感じましたが、アーマンも正直な人なんですね。
田川建三さんも同じ。
正直な人。
正直であるが故に、おかしいところはおかしいと認めてしまうのでしょう。
なので聖書やキリスト教のおかしさ、矛盾点の多さに耐えきれなくなって、信仰そのものを捨ててしまう。
田川さんもアーマンと同じです。
田川さんも、聖書を、キリスト教を、徹底的に追求し追求しまくったところ、信仰を捨てることになったといいます。
アーマンと同じで不可知論者になったといいます。
キリスト教を真面目に真摯に追求していくと、その矛盾に必ずぶつかり信じられなくなる。
キリスト教を真摯に学ぶことで、ダメなことがわかる。
これが本当のところであり、これがキリスト教の「本当のゴール」なんだと思います。