本物の超能力はわかりにくい
こちらのジェームズ・ランディの話しからの続きになります。
ジェームズ・ランディ~Mr.マリックとメンタリストDaiGoのネタ元
ジェームズ・ランディは、超常現象を頭ごなしに否定・批判をして、多くの超能力者・霊能者を潰したようです。
しかし、ランディは極端過ぎますね。世の中には、本物の能力者もいるからです。
けれども、本物の能力者はわかりにくい。
「本物の能力」なのか
「なんちゃって」なのか
あるいは「手品」なのか。
この辺りの見極めは難しいですね。
超能力へのバッシングは起きやすい
なので、本物の能力者は、手品に勘違いされることはしないで、真摯に行うことが多いように思います。時に起き得るバッシングにも耐えながらも、誠実に行っていると思います。それと、公明正大さが大事になってくると思いますね。
と、こんなことを書いていますが、ワタクシも怪しいエネルギー使いをするときもありますので、ジェームズ・ランディのことは、頭の片隅にはあります。
決して他人事ではないんですね。やはり批判され、疑われる要因があることは、自覚しておかないといけないかなあと思っています。
で、自分でヒーリングなどをやていながら結構、批判的といいますか、懐疑的でしてね^^;
やはり冷静になって見つめる姿勢は欠かせないと思うんですね。できるだけ誤解されないようにすることは大事だと思います。
またこの手の歴史を調べて勉強するようにしています。これも欠かせません。
神秘への怖れから起きた「魔女狩り」
そもそも超能力や霊能力へのバッシングは、今に始まったものではありません。
中世の頃の「魔女狩り」があります。
「魔女狩り」は凄まじかったですからね。「魔女狩り」は、12世紀から行われています。18世紀までの600年間行われたといいますからね。しかしアメリカでは、19世紀になっても行われていました。
超能力や霊能力をはじめ、超常現象を批判し、バッシングする風潮は、実は、昔からあるんですね。根強くあります。
「魔女狩り」では、怪しいことをすれば火あぶりや、水攻めの死刑です。当時は、薬草を調合しただけで、「魔女だ!」と言われて、火あぶりにされてしまったとか。
凄まじいですね。
魔女狩りの本質は、神秘・未知への怖れです。
だから現代においても、ジェームズ・ランディのように、極端になってまでも超能力を否定する輩が出てくるんでしょうね。その本心は、異常な怖れです。未知なるものを認めたくない怖れ。
気・エネルギーには違いがある
超能力といっても、手品を使って、それらしくできてしまう世界です。
ところで、気・エネルギーには、実は種類や性質、発生源の違いがあったりもします。
また思い込みや暗示で、効果や効能を感じることもあります。
しかし、肯定的に受け止めることで、気やエネルギーは、その効果を促進させる一面もあって、なかなか微妙な世界だと思っています。
超能力を禁止したブッダ
ちなみに、ブッダは、解脱した初期の頃は、神通力をバシバシ使っていました。が、途中からは使用を控えるようになります。
その理由は、当時にもジェームズ・ランディのような手品師がいたからのようです。
当時は「ガンダーリー」という魔術を使う人がいたようです。
が、ブッダは、このような魔術と、仏道修行の副産物で生じる神通力が一緒にされることは「恥である」といって、神通力を無闇に使うことを戒めるようになります。
今風に言えば、ジェームズ・ランディが再現できる超魔術と、本物の能力(神通力)が一緒にされる(誤解される)ことを控えたということなんだと思います。
まとめ
不思議な能力には、微妙なところもありますので、やはり副産物・おまけとするほうが無難かなあと思ってます。エンタメとして見るならば、手品も本物の能力も、どちらも面白いですけどね^^;
この手の能力は、微妙なところがあったり、ピンからキリまであると思いますが、自分も片足を突っ込んでいる世界ですので、あんまりこういうのを書きますと、ブーメランとなって返ってくることも起きそうですので、この辺りにしておきます^^;
まあ、本気にならずに、おまけくらいに向き合うのが、ちょうどいいんじゃないかと思っています。