分離意識と悟り
悟りにおいて「分離が無くなる」というのは定型句にもなっています。特に欧米では多用されれいます。
が、「分離が無くなる」という意識は、広がる意識・空の一面を表現したものですね。
欧米人は元来、あなた・私(YOU・I)といった区別する意識が、言語レベルにも出ているほど強いんですね。
が、悟り体験によって空を感じると、この「あなたと私(YOU・I)」といった分離意識が薄らきます。
このことは欧米人には驚き。
ショッキング。
なので「分離が無くなる」という表現を多用しているのだと思います。おそらく。
日本人は分離意識が弱い
日本人は、元々分離意識は弱かったりします。「分離が無くなる」「一体感」ということ自体が比較的日常的です。
なので、この手の言葉にはピンと来ることが少なかったりします。体感的にピンと来ない。
日本人の場合は、むしろ、空、あるがまま、絶対善、高揚、輝きといったニュアンスを体感するようになるのではないかと。
歩み方によっては、虚無、静寂、枯れ木を感じるでしょう。しかしこれはタマスの禅定と本質は同じです。現代ではよろしくありません。いろいろと問題を引き起こすことが多くなります。
レナード・ジェイコブソンのことば
レナード・ジェイコブソンのことば。
目覚めるにつれて、分離が終焉となるでしょう。あなたは時間の中に存在する一つの個として生きているものの、今の真実と現実の中に深く根をおろしています。
目覚めのプロセスが深まるにつれて、魂のさらに崇高なレベルが肉体の形態に入り込むでしょう。
あなたの存在のまさに霊的な本質が、あなたの人生に流れ込みます。
あなたは神のマインドを、永遠なる光に満ちた、どこまでも広がる沈黙の静寂として体験するでしょう。
あなたはあらゆる有形の形態を、唯一絶対的な神の存在の光に輝く、神の肉体として体験するでしょう。
あなたは神の純粋な本質である慈愛を体験するでしょう。あなたが今に目覚めるにつれて、マインドの世界の暗闇は次第に光で照らされてくるでしょう。
すべての幻想に関する信念を溶かす、強烈な覚醒のいくつかの段階を迎えるでしょう。
ゆっくりなものの、確実に悟るでしょう。
『あなたが誰であるのか』、
『あなたがどこにいたのか』、
『あなたが何をしていたのか』
の真実を認識するようになるでしょう。
あなたが目覚めるにつれて、目覚めた意識が段階を追った真実の啓示をもたらすでしょう。
最初は、あなた自身とあなたの人生について、そして、あなたの過去世について、それから、あなたの存在の霊性と魂のレベルについてです。
広がる意識とは空のこと
覚者の言葉は、悟りを観念で理解してしまう、そんな妄想の世界に誘う心配はあります。ですので、言葉の向こうにあるエネルギーを感じるのが大事ですね。
レナードの言う「広がる意識」というのは、本当にその通りです。で、これを古来より「空」といっています。
この「空」の中に、気づき、ハート、あるがまま、創造主、絶対善、エネルギーの全てがあります。どのエッセンスを感じるのかは人それぞれだったりします。
空のエッセンスを元にして悟り修行も作られている
で、この空がもたらすエッセンスを手がかりに悟りの修行も作られていたりもします。⇒悟りを開く方法【まとめ】
- 気づき(明晰性):プレゼンス
- ある(ただ在る、いまここ):ビーイング
- 禅定(サマディ):ビーイング
- 愛(四無量心、慈悲喜捨):ハート
- 本当の自分(大いなる存在、純粋意識、真我、宇宙意識)
- 無分別(あるがまま)
- 空
- 創造主・神(人格神ではない神)
- エネルギー(生命力)
これですね。
現代は愛(ハート)が大切
覚者の言葉を引用するのは滅多にしませんが、レナード・ジェイコブソンのはいいですね。
慈愛が含まれていますので、観念的に受け止めても、虚無、枯れ木、ドライに導く心配がありません。
ハートは欠かすことのできないエッセンスです。ハートを欠くと「空病」になりやすかったりします。
愛(ハート)を欠くと空病になりやすい
空病は、空の感覚と、エゴのインフレーション(エゴの増大)との違いがわからなくなってしまい、エゴが増大してしまう状態です。
空には至福感があるため、空病に陥ると、まずリカバリーは困難だといわれます。
なので空病になったら現世ではそれまで。生まれ変わってやり直し。そういうケースが多くなります。なので、厄介な状態だったりします。
せっかく一瞥の体験をしながらも空病に陥り、空病を克服することができずに亡くなり、生まれ変わると、今度は猛烈に不遇な人生となって、大変苦労するようになります。
そうして学んでいきます。このことは知られざる悟りの一面です。
こういうのが日本の禅には、実は大変多かったりします。日本の禅は枯れ木の悟道です。生まれ変わったら不幸になります。不幸の中で悟るようにもなります。現代においては、よろしくありません。
だから禅に与することなく、ハートを含んだ道がおすすめなんですね。