嶋田幸安の幽界物語(神界物語)
さて、嶋田幸安の幽界物語(神界物語)の続きです。
前回は、
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そもそも多くの人の魂(普通の人の魂)は、高天原の宇宙創造神の分け御霊なので、臨終を迎えれば、その人の魂は、まず土地の神さまに導かれ、お迎えがやってまいります。
そうして、美しい天界の音楽のBGMが流れる中、出雲大社へと案内されて、あの世を司っている神さまにお会いします。
で、美味しい食事やお酒をいただいて、神通力を持つ神さまとなります。
で、自分の思うところに行けるようになり、楽しみの多い生活をして、生前の家の子孫たちの繁栄を見守る「守護神」となります。
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ということでしたね。
人は亡くなると、多くは「神さま」となって、その家を守る守護神となるという話しでした。
で、今回は、この続きです。
死後、神さまとなったなら~神さまのお仕事
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又神達の御所為にて再び人に産まるるもあり。
神の宮殿に仕奉るもあり。
霊域名山に留るもあり。
我が家の内に来るもあり。
種種快楽極まりなし。
総て幽界よりは、
此顕界の有様を視るて能く知る事にて、
家の祠にも影向し祭奠をも享くる也。
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ここもおもしろいですね。
神さま(天人)になった後、再び、人間となって生まれる神もいる。神社でお仕事をする神もいる。霊山に住む神もいる。元の家族のところに来る神もいる。
で、とても楽しく快適。で、向こうの世界からは、こっちの世界はよくわかり、元の家に姿を現して、お供(そな)え物も受ける。
とありますね。
ここもまさに「天人生活」です。
「神さまライフ」。
で!面白いのが、家族や子孫が、仏壇などでお供え(供養)してくれると、それをちゃんと受け取ってくれる、ということです。
先祖へのお供え(供養)はちゃんと伝わるってことですね。これはびっくりです。
昔から言われていたことは本当だったんですね。
神さまは「穢れ」を嫌う
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又人間の魂も此穢体を離れ出ては、
最も清き物にして、
聊かも汚穢き事を忌むなれば、
父母先祖の神棚の祭り神酒御肴の供物等も、
随分清浄に調へて奉るべき也。
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また人間の魂も、その穢(けが)れた身体を離れれば、もっとも清らかなものになって、穢れたことをまったく忌み嫌うので、神棚の御神酒や肴(さかな)などの供物も、ちゃんとしたものをお供えすべきですよ。
なーるほど。
死後、神さま(天人)になると穢れをとても嫌うという話しです。これはパーリ仏典にあることとまったく同じですね。
なので、汚れがないようにして、神棚の御神酒や肴(さかな)などの供物も、ちゃんとしたものをお供えすべきですよ、ということなのでしょう。
仰天!神さまは仏教の供養を嫌う
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さて又今世の人々は、我が親達の為に家神棚の祭祀する者は稀にして、大抵は僧尼を頼み仏事遠忌を営む也。
此の仏法の祭りも先祖の霊の知る事なれど、神霊となりては甚く穢を忌給ひて、仏事穢祭を受けずと云へり。誠に然る道理也。
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これは卒倒しますね。
もう驚きです。
今では(江戸時代の末期ですが)、親・先祖のために、神棚や仏壇をお祀りする人は稀で、大抵はお坊さんに頼んで仏事をしている、と。
で、この次が卒倒ものです。
驚き!
仏教による先祖供養や法要は、神さま(天人)となった先祖にしてみれば、はなはだしく穢れていて忌まわしいもの。仏教の供養は受けたがらない、と。で、これは誠に道理にかなったことです。
ぬ、ぬ、ぬ、ぬわーんと!
ほげーーーー(@◇@)
仏教の供養は陰気で重たいので神さまとなった先祖は嫌う
仏教の供養は、辛気くさく、陰気で、重いので、「嫌!」ってことなんでしょう。で、それが「誠に然る道理也(誠にその通りです、道理にかなったこと)」であると。お坊さん、口からアワを吹きそうな発言です。
うーん、やっぱり日本の仏教って、陰気で重たいんでしょうね。あんなド陰気で重たい供養をしてもらっても、「ちょっと、あーた、止めてくれるぅ?」って気持ちになるんでしょう。
ここは、ものすごくわかりますね。
てか、日本の仏教は、とにかく辛気くさく、暗く、重たく、嫌な雰囲気がありますからね。
ただし!ガキにには、あの重々しい仏教の供養がかえって共鳴し、喜ばしいものになるのかもしれませんね。
寺院消滅は神さまとなった先祖の意向?
最近の「寺院消滅」の流れは、まるで日本人の祖霊が望んでいることのようにも映ります。
軽はずみなことは言えませんが。
で、日本の仏教はいろいろと問題がありますからね。
中世の日本の寺院はカルト分国でしたから。日本の仏教の歴史そのものが重篤な悪業を重ねる歴史です。
島田幸安の報告は驚きの連続
それにしても島田幸安の報告は、驚くべきことです。
深く深く考えさせられるものがありますね。また、日本の仏教を再生、再興していくヒントもここにあるんじゃないかと思います。
日本の仏教って、どうしても重たく感じられますからね。もっとさわやかで、明るく、天晴れな透明感が必要だと思いますね。
この輝きがあれば寺院への参詣者も増えるでしょうし。お洒落にもなりますし、それこそ神さまとなった先祖の皆さんもお喜びになるんじゃないんでしょうか。
日本の仏教は「脱・妖魔」が必要ですね^^;
先祖供養の極意!~尊い神の元でお祀りする
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たとへ父母の霊魂は悪く穢き境に留れりとも、是を尊き神達の御許に配祭りて仕え奉るこそ子孫たる者の孝心の厚き処なれ。家の主長は即ち其の家の神主なり勤めて怠るみじき神事なり。
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たとえ両親が悪趣(ガキなど)の穢れた境涯に生まれ変わったとしても、貴い神々の元でお祀りして供養するのは、子孫にとっても厚い孝行になるんじゃ。
家の主(あるじ)は、その家の神主だ。なので、ちゃんと行って怠ってはならない神事なんじゃよ、と。
うーん、これも驚きです。「供養の極意」とも受け止められます。
浮かばれない人(亡者)を救う方法でもありますね。で、菅原道真とか、平将門を「神」として祀って、穢れを払わせるやり方そのものかもしれません。
浮かばれていない先祖がいたとしても無碍に扱うのではなく、神となった祖霊とともに厚く祀れば大丈夫ってことなのでしょう。
これを各家庭でもすることを勧めているわけですね。ふーむ、これは深い。
いやはや、こんなすごい情報が江戸時代末期に出ていたとは。ただただ驚くなかりです。
善因楽果・悪因苦果はある
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右謂へる如く人間万物の霊魂は、善悪の所業に因りて様々の物に生まれ変わる事なれ共、何れも其の前世の所業に因りて様々の物に生まれ変わる事なれ共
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人間の霊魂は、善悪の行為によって、転生先の境涯が決まるものよ。いずれも前世の行いによって、様々な境涯の生命に生まれ変わる、と。
これは仏教の「善因楽果、悪因苦果」の通りです。
まったく一緒。
真理です。
江戸幕末に「類魂説」を述べていた島田幸安
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何れも其の前世のことを自ら覚えざるは如何にと云ふに、人の生れ出る時は一日に千人死し千五百人生る道理に依りて、其の心魂の物に宿れる時に分形もするが故に、前世の事を識らざると又魂の其の儘にて生れ替りたる者も、胎内に入りし時より何事も忘るるが故也
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何故、前世のことを憶えていないのかといえば、人が生まれるときに、一日に1000人亡くなって、1500人生まれる通りで、魂が宿るときは、魂が別れるから、前世のことを知らないのだ。
また魂が、その思いのまま生まれ変わっても、胎内に入ったときに忘れてしまうからだ。
この箇所は、近代のスピリチュアルズムで言われている「類魂(るいこん)」ですね。類魂。あるいは「類霊」「分霊」ともいいますね。
類魂説では、人は死後、魂の親元(自分の魂の源でもあるスープ)に帰って、自分はバラバラになって解体されるといいます。
そうして魂のスープを素材にして新しく魂が合成されて「新しい自分」となって再生し、転生してゆくといいますね。
島田幸安のこのくだりは、類魂としての再生と転生を述べています。
で、「魂が分割してしまうので前世の記憶が無い」ということと、「胎内に入ったときにそれまでの記憶を忘れてしまう」ために「前世の記憶がない」というわけです。
すごいですね。
今のスピリチュアルで言われている「類魂」説を、江戸幕末当時に述べていたわけですので。
もしかすると輪廻転生は、類魂説の通りなのかもしれませんね。
前世の記憶を持っている人は幽冥界のことを伝える使者
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然れども稀には前世の有様を知りて語る者あるは、是又神境幽冥の事を愚人に疑はせましき為の神の御慮りなるを弁ふべし
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けれども、稀に前世のことを憶えていて話す人もいる。それは神界や幽冥界のことを、人々にわかってもらおうとするために、神界からの慮(おもんぱか)りであるんじゃ。このことを知っておくとよいぞよ。
うーん、これは大変興味深い!
で、幕末に、この手の幽冥界情報が一気に出てきたのは、やはり神界や幽冥界からの働きかけがあったからなのでしょう。
このことを端的に示すのが、この一文です。
いったん、ここで切ります。
続きは次回。
次回は「まとめ」になります。