ドリーンヴァーチューがキリスト教に改宗
現代のスピリチュアル(アストラル界系スピリチュアル)の教祖的存在だった人に、アメリカの「ドリーンヴァーチュー」がいます。
ドリーンヴァーチューは、オラクルカード、インディゴチルドレンなど、現在流布しているアストラル界系スピリチュアルの多く概念やアイディアを作った生みの親であり元祖。
ところが、そのドリンバーチューは、数年前にスピリチュアルから完全に足を洗って、キリスト教(プロテスタント)に改宗。
ドリーンヴァーチューいわく「私は悪魔にそそのかされていた(だからアストラル界系スピリチュアルに夢中になっていた)」と。
スピリチュアルは悪魔の産物?
そうです、スピリチュアルの多くは、キリスト教的にいえば悪魔の産物です。
キリスト教的な観点からいえば、アストラル界系スピリチュアルはすべて悪魔の産物になってしまいます。
悪魔というのは、一つの言い方になりますね。
要するに、暗く、重く、どんよりした混漠とした不健康な波動と精神性です。
で、悪徳がはびこりやすいのがスピリチュアル、オカルト、魔術の世界。
アストラル界系スピリチュアルは、精神の混乱、混濁の性質があり、知能を低下させる作用もありますので、おすすめできません。
アストラル界系スピリチュアルとは?
ちなみにアストラル界系スピリチュアルは、次のような特徴があります。
- 妄想、空想、幻想、幻聴の境涯
- 低い境涯の精霊(お稲荷さんや蛇神、たぬきの霊、犬の霊など)がいる境涯
- 興奮、刺激、選民意識、キラキラ、綺語、低次元の愛(偏愛)や喜び、とらわれといった心の境涯
- 反対に、不安、混濁、混乱、不活発、殺伐、争い、敵対心、競争といった心が生じやすい境涯。
ご覧の通りでして、昨今多いスピリチュアルこそ、まさに「アストラル界系スピリチュアル」だったりします。
キリスト教の文脈に照らせば「悪魔的」になるんでしょうが、悪魔的というのは一つの表現に過ぎませんね。
要するに、暗く、重たく、混濁しているってことです。こうした性情をキリスト教では「悪魔的」と言っていますね。
「スピリチュアル」で人生を棒に振る中高年
ところで最近では、中高年がスピリチュアルにハマるケースも増えているといいます。
スピリチュアルが宗教の代替になってしまい、多額のお金をかけて失敗している人、中には人生を棒に振ってしまう人も出てきているようです。
⇒「スピリチュアル」で人生を棒に振る中高年たち、悲劇の実例集
記事には、「不思議なのは、中高年になってからその世界にハマる、あるいはハマりすぎる人たちだ。なぜ世の中を知り、経験を積んでから『見えない世界』に没入するのか」とあります。
いえいえ、スピリチュアルにハマる大人がいることは、いつの時代でも起きています。今に限ったことではありません。
世相が不安になると「アストラル界系スピリチュアル」が流行する
結局、世の中が不安定になってきたり、時代が大きく変わる時には、宗教やスピリチュアル、オカルト、魔術、霊術など、目に見えないものが非常に人気を博すんですね。
で、何故か「アストラル界系スピリチュアル」が大盛況になります。
やはり「不安」が渦巻いている「アストラル界」とシンクロしやすくなるんだと思います。
このことは歴史を振り返ってみればわかります。
- 社会体制が大きく変わった「幕末」
- グローバリズムが広がり格差社会となり金融恐慌が起きた「大正から昭和初期」
- 高度成長経済の「昭和」
- バブル景気で賑わう「平成バブル時代」
これらの時代には「アストラル界系スピリチュアル」が爆発的に登場し、大ブームになります。
ドリーンヴァーチューのスピリチュアルは人気
結局、「アストラル界系スピリチュアル」とは、妄想、妄念、想像といった脳内活動とリンクしている次元ですし、しかも不安や怖れといったネガティブな気持ちともリンクしています。
時代が大きく変わるときには「不安も高まる」ので、「アストラル界系スピリチュアル」が大ブームになるわけですね。
これと関係して、伝統的な神社なども人気がアップします。
ドリーンヴァーチューが残したスピリチュアルは、アストラル界系になりますね。
ドリーンヴァーチューは、既に引退しましたが、彼女が残した「アストラル界系スピリチュアル」の諸々は、今もなお盛んな様子です。
それだけ不安や怖れなどがはびこっているということなのかもしれませんね。