苦しみの解決にはあるがままの瞑想がおすすめ
苦しみや悩みの解決においては、瞑想を軸にしています。瞑想といっても「あるがまま系」の瞑想ですね。気づきの瞑想、マインドフルネスともいわれています。
あるがまま系の瞑想では「受け入れる」という姿勢です。「受け入れる」といっても「意図的」にするのではなく、まさに「あるがまま」という姿勢ですね。これがポイントになります。「そのまんま」ともいいます。
意図的(Do)は苦しみとなる
で、なぜ「意図的」に受け入れてはダメなのかといえば、苦しくなるからです。意図的なことは「Do(する)」と苦しくなるんです。Doは苦しみをまねきます。生じます。Doは苦しみとなる性質なんですね。
しかしだからといって日常生活をDoしないというわけではありません^^; 瞑想的対応と日常生活は別です。
で、瞑想的な対応ではDoはよろしくありません。Be(ある)なんですね。しかしBeがなかなかわかりにくい。が、Beが体感できる方法があります。それが呼吸瞑想です。
呼吸瞑想はBeでしかできない
呼吸瞑想のことをアーナパーナ・サティともいいます。呼吸の出入り、呼吸を観る瞑想ですね。
ところが意図的な気づきをもって呼吸瞑想をするとギクシャクしてしまいます。呼吸瞑想は、Doの気づきではできないようになっています。そういう風になっているんですね。
そもそも呼吸は自然です。自然に行っている呼吸に対して、意図的に気づく(Doの気づき)と、必ず不自然になります。そうなっています。
だから、呼吸が見えるには、Beの気づきでないとできないんですね。で、Beの気づきこそが「あるがまま」「そのまんま」ということだったりします。
ですので呼吸瞑想ができることは、瞑想効果が期待できる「気づき」になっている証だったりします。「あるがまま」ができる状態ですね。
苦しみ・悩みは思い・判断が生み出している
ところで苦しみや悩みは、思い・判断(ジャッジ)が生み出しています。
起きている(起きた)出来事に対して「こうあってほしい」「どうしてこうなるの」「正常に戻したい」「困った」「ダメだ」「許せない」といった思いが駆け巡るのは、理想の基準(思い)がありつつも現実はその通りでないからですね。
つまり「認識」が苦しみ・悩みを生み出しているわけですね。思考が生み出している。判断が生み出している。思い・判断が悩みや苦しみの原因です。
そこで、そのような思い・判断にハマらないようにするのが「あるがまま系の瞑想」なんですね。気づきの瞑想、マインドフルネスです。
問題解決においては具体的な解決方法も行う
ちなみに私の場合は、あるがまま系の瞑想を軸にしながらも解決策を探すようにしています。解決に当たっては原理主義的なものは取り払ってフレキシブルに対応します。
瞑想による受容だけでなく、問題解決のための方法ですね。たとえば
・天啓気療(ヒーリング)
・ポジティブ・シンキング
・アファメーション
・その他具体的な改善策
とにかく使えるものは全て使い、あの手この手の方法を駆使していくことですね。
長期間にわたる苦しみ・悩みにはあるがまま系がおすすめ
長期間にわたり、なかなか解決のできない悩み・苦しみがある場合は、あるがまま系の瞑想がおすすです。あるがままができることは「観る人」でもあります。観る人になると、
・問題は解決しないが苦しみが減る
・悩みは解決しないままだが苦しみが減る
となります。で、これが一つの着地点です。
テーラワーダいう名色分離智に開かれると「観る人」になります。「観る人」になると悩みや苦しみは軽減します。いわゆる「マインドフルネス効果」を感じると思います。
「もっと若いときに知っていれば!」と言われる方もいるくらいでして、あるがまま系の瞑想は地味に映りますが、その効果は確かだったりします。