真のスピリチュアルには真我開眼が必須~瞑想修行の体系はシンプル

それにしてもブログ。
6月、7月は久しぶりに毎日投稿していたもんです。

ま、キリスト教の記事ですね。
怒濤の投稿だったものです。

社会問題の記事は、あまり書かなくなりましたからね。

YouTubeなどで詳しい情報を発信する方も多くなりましたし^^
 

で、今日は、スピリチュアルについて書いてみようと思っています。

が、このブログ。
グーグルの広告を付けているんですね。

んが、変な広告も出てくるんですよね。

うーん、なんだかなあとも。
 

しかし、グーグル広告の申請は、今、難しくなっているといいます。

せっかく昔、取得したので、使ったほうがいいかと思っています。

とはいっても、広告収入は、1ケ月、2000円くらいなんですね。

ラーメン2杯分^^

でも、せっかくなので、グーグル広告を使っています。

 

ところで、ここでミュージック。

今日は、ジョアンジルベルト。

ボサノバ黎明期の頃から活躍していたブラジルのミュージシャンですね。

João Gilberto – Aguarela do Brasil

ジョアンジルベルトの作品の中でも、これ、いいんですよね。

「Aquarela Do Brasil(ブラジルの水彩画)」

ボッサ特有のギターのカッティング。
このリズム感がいいんですよね♪

ずーっと聞いていても飽きない。

ちなみに、この作品は、1981年のものであるとか。
 

で、この曲、アレンジがクラウス・オガーマン。

名アレンジャーっすね。

なんとも落ち着きます。
 

でありながらエレガント。

ボサノバちっくなノリで、オガーマンのアレンジが効いています。

うーん、いいですねー(^o^)

エレガントでありながら落ち着いている音楽っていいんですよね。
 

ちなみに「Aquarela Do Brasil(ブラジルの水彩画)」にはオリジナルがあって、1939年登場しているとか。

Ary Barroso(アリー・バローソ)が作曲。
オリジナルはこちらですね。

Aquarela Do Brasil-Ary Barroso

なんとも素朴^^

でも、これはこれでいいですね。

味わいがあります。

ボッサ最高(^o^)


 

それにしても瞑想。
修行。

もうシンプルになってきましてね。

畢竟、シンプルになるんでしょう。
 

・悟り(認識の変容)・・・禅の道
・向上(生命の向上)・・・善の道(善とは真我)、エネルギーの道

・スピリチュアルは、真我系のみ。
・アストラル界系スピリチュアルはNG。ブッブー。

このように集約されてきます。
 

回避しないといけないのが、哲学や思想にハマること。

アストラル界系スピリチュアル。

それと、キリスト教のような解釈や妄想系の宗教に行くこと。

この3つ。

この3つに進むと、途端に進まなくなります。
 

アストラル界系スピリチュアルは、現代の超絶落とし穴ですね。

アストラル界系スピリチュアルに興味のある方は、経験上、100%、瞑想はムリなんですね。

ええ。

このことが長年の経験でわかってきたことです。

100%無理です。
はい、断言できます。
 

アストラル界系スピリチュアルは、エンタメとして、お笑いとして接する分にはいいんですけどね。

私も、話しのネタとして、流行ものをチェックしています。

時々、アネモネも読んでいます^^;
 

映画やアニメ、あるいはドリフのコントのように、楽しむ分には別段、いいんですよね。

それなら問題はないんですけどね。

救いや、神秘的なものを求めたり、チャネラーや霊能者にあこがれたりし始めると、天狗界(魔界)の皆さんがやってきて、異様な感じになっていくんですよね。

くわばら、くわばら。
 

スピリチュアルは、真我に開眼して初めて取り扱える代物なんです。

グノーシス主義的にいえば、「神の国」に開ける、「神の子」を自覚できてはじめて取り扱えるもの。

わかりやすくいえば、イエスと同じ領域にいたって、初めて取り扱えるのがスピリチュアルなんです。
 

真我に開眼することが必須なんです。

言い換えると、プレゼンスです。

もうこれが必須の条件。

で、プレゼンスに開眼すると、スピリチュアルが本当にわかるようになります。
 

なので、プレゼンスに開眼することをおすすめしているんですね。

あるいは禅定。
ワンネス。
 

プレゼンスか、ワンネス(禅定)に開眼することが、スピリチュアルを取り扱うには、必須。

絶対に必須。

この条件を満たしていないスピリチュアルは、NG。
 

ということでしてね。

スピリチュアルは、真我に開眼していることが大事なんですね。

プレゼンス、禅定、ワンネス。
 

グノーシス主義的にいえば、神の国、父の子、光の子、神の子、人の子、メシア。

全部、同じことを言っています。

真我のことなんです。
 

で、新約聖書を書いた人達、ペトロを筆頭とした弟子達は、イエスの教えを理解できなかったんですね。

なので、ヘンテコな宗教にしてしまったんですね。

パウロにいたって、イエスの幻覚を見て、キリスト教を作ってしまいましたからね。

妄想を見て、それをリアルと勘違いしてしまったわけです。
 

ちなみにイエスは、マリア福音書では、「私の姿を幻視したからといって驚いてはいけない、それは妄想だ」といったことを言っているんですね。

あいやー、パウロちゃん^^;

パウロちゃんの妄想が、世界宗教になったわけですが、こうしたことを知ると、複雑な気持ちになります。
 

ちなみに2。
この妄想宗教を信じた信者達は、「ユダヤ人迫害」も始めてしまうわけなんですね。

ほら、この手のものが危険な代物であることは、歴史をみれば一目瞭然なんです。

なんともかんとも。
 

と、まあ、またキリスト教の話しになってしまいましたが、そうそう、この前、「キリスト教講座」を行いましてね。

手前味噌ながら、メチャ良い内容だったと思います。

ヘンテコな宗教・キリスト教を、中立的な視点から説明できたんじゃないかと思っています。

こうした説明は、ちょっと他にないと思います。

巷の書籍には、まったくといっていいほど無いと思います。
 

で、こうした、オカシナものを知ることで、真っ当な道がいっそう浮かび上がってくることでもあるんですね。

なので、宗教を知る、学ぶことは大事なんですね。

ホント、宗教を知り、学ぶことは欠かすことはできないと思っています。
 

と、話しが脱線気味なんですが^^;

瞑想といいますか修行は、

・悟り(認識の変容)・・・禅の道
・向上(生命の向上)・・・善の道(善とは真我)、エネルギーの道

・スピリチュアルは、真我系のみ。
・プレゼンス、または禅定、ワンネスは必須。

・アストラル界系スピリチュアルはブッブー。

ということですね。

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